ありがたいな
聞くたびに 初花さいて
初のみのり《実り,み法》よ
なむあみだぶの中に実らせ
ご恩うれしや なむあみだぶつ
(鈴木, p.219)
これもどこで読んだか忘れましたが,ある人の回想:
以前,自分の家にある『大菩薩峠』を借りて行っては読んでいるお年寄りがいた.ところが,最後まで読むと,また最初の巻を借りに来る.長い小説なので最初のあたりはもう忘れている,だから,また楽しめるとうれしそうに本を抱えて帰っていく.ひょっとすると,これが理想の読書なのかもしれない・・・.
いくら聞いても読んでも忘れてばかり・・・.でも,そんなこと気にせずに,ただ聞くのが楽しくて,読むのがうれしくて,聞き続け,読み続けるのが理想の聴聞なのかもしれません.
人はとかく目新しいことを聞きたいと思うものであるが,同じみ教えを何度聞いても,いつも目新しくはじめて耳にするかのように受け取らなければならない.
(蓮如上人)
蓮如上人のお諭しを図らずも実行できると考えれば,忘れてばかりというのも,ま,悪くもないか・・・.
【補足】
鈴木:鈴木大拙『妙好人浅原才市集』
蓮如上人:『蓮如上人御一代記聞書』(130)の後半.引用は,『同 現代語版』(本願寺)p.87から.『注釈版』ではp.1273.
(130) 一,ひとつことを聞きて、いつもめづらしく初めたるやうに、信のうへにはあるべきなり。ただ珍しきことをききたく思ふなり。ひとつことをいくたび聴聞申すとも、めづらしく初めたるやうにあるべきなり。
岩波新書に『私の読書法』という本がありました.たくさんの人が自分の読書について綴った本です.現在絶版のようですが,私は高校生の頃,高校図書館で読みました.1回の昼休みに1編ずつ,読み終えるまでにひと月くらいかかったでしょうか.その間,これが昼休みの楽しみで,司書の方が,借り出せるよ,と親切に言ったくれたのに,「いいです」って無愛想に答えてしまいました(遅ればせながら,あの時は失礼いたしました).上の話はその本で読んだような気がするのですが,もう,はるか昔の話です.記憶には,まったく自信がありません.
初花ですか・・・
たしかに聞いていて、ハットすることがよくありますね。電球が点灯するような、
才市さんは、つぼみがパッと開くように感じたということでしょう。
おなじ講師の話をきくと、「この話は前に聞いたことがあるナ-」と小ばかに
することがありますが、最初に聞いたときに ナルホド と思った気付きのように
自分がなっていないので、やはり初ごととして聞かせてもらわなければいけませんね。
ありがとうございました。