釈迦如来かくれましまして
二千余年になりたまふ
正像の二時はをはりにき
如来の遺弟悲泣せよ
(『正像末和讃』の二)
道綽禅師(561?--645)の『安楽集』の冒頭を見ると,「時機」ということが非常に強調されています.昔のインドの人々ではない,末法の時代の今ここにいる中国の人々に適した教えを明らかにすると宣言されているわけです.前回お話した慧思禅師(515--577)が法華経や般若経を重んじたのに対し,道綽禅師はお浄土の教えに転じられました.しかし,慧思禅師と同じ危機感を共有されていたことを感じさせる始まり方ではないでしょうか.
しかし,その‘今の中国’は,もう,お釈迦様からはるかに隔たっていました.お釈迦様は,遠いインドの,しかも当時でさえ,1000年も前の方でした.救いを切実に求めている人々がこんなにもたくさんいるのに,もう,お釈迦様から教えを受けることはできない.世界をを照らす太陽は沈んでしまい,今は,暗い末法の世である・・・.まさに,如来の遺弟は悲泣せざるを得ないような状況と思えたことでしょう.
しかし,太陽が沈んだ後の暗い野原に,小さな,しかし,無数の灯火が輝いていました.お念仏に生きた人々の輝き,人から人へと次々に移されてきた仏の心の灯火です.太陽はもう沈んでしまった.しかし,人から人へと絶えることなく伝えられてきた灯火に導かれて,私たちはお浄土へ道を歩むことができる.そして,やがては,この私も小さな灯火の一つとなり,後の人を導くことができますように・・・慧思禅師の願文に比べれば,ずっと控えめな表現ながら,同じ願い,同じ切実さがあるように感じられます.
当時の中国は,「中国的新仏教形成へのエネルギー」に満ちだ時代,あるいは,中国仏教の様々な宗派が若木を萌えださし始めた時代と言われます.そのような中で道綽禅師はお念仏の教えを,すべての人々が通ることのできる門,末法の時代にもっとも適した門としてお立てになりました.お念仏の教えは道綽禅師以前から知られていました.しかし,道綽禅師がこの時代に浄土門として改めてお建てにならなければ,再生を果たした禅宗系仏教が中国仏教の主流となっていく中,お浄土の教えは古い教えの一つとして忘れ去られたかもしれない・・・.慧思禅師の強烈な生き方を読むと,そんな空想をしてしまいます.
【補足】 『正像末和讃』の2:『浄土真宗聖典 注釈版』, p.600.)