ある時,まったく偶然に,慧思禅師(南岳慧思 515--577)について書かれた論文を読む機会がありました.慧遠なら聞いたことあるけど,慧思って誰?と思ったくらい中国仏教については知らなかったのですが(今でも知らない),非常に面白く読むことができ,道綽禅師のことが少し分かったような気がしました.というわけで,今回は慧思禅師について,というか,その論文の要約・感想文です.
さて,慧思禅師(515--577)ですが,実は,こういうのも気が引けるほど,大変有名な高僧でした.中国天台宗の大成者,智顗《ちぎ》の師で,中国天台宗第二祖に数えられる方です.因みに,慧思禅師は天台大師智顗に会われたとき,「昔,霊鷲山でお釈迦様の『法華経』を一緒に聞いた仲間ではないか」と言われたとか.また,聖徳太子は慧思禅師の生まれ変わりという伝説もあるそうです.
しかし,私の読んだ論文に描かれている慧思禅師は,行いすました高僧と言うより,非常に気性の激しい方,「強烈」という言葉がぴったりの方のように感じました.
それは上の言葉にもちょっと感じられますが,たとえば,40歳過ぎに書かれた「立誓願文」には,こんな文があります.
「願わくば,将来,弥勒菩薩がこの世に現われるときには,自分の誓願とこの金字般若経によって,世界が六種震動するように.そしてこれに驚く人々に弥勒菩薩はこう説かれるだろう.昔,お釈迦様が広く衆生を救われたが,その滅後,末法の世になり悪が横行した.そのとき,慧思という比丘があって,この金字般若経と宝函を作り無量の人々を救おうという願を建てた.今,その金字宝函が出現しようとしているのだ,と.それを聞いた一切の人々が私の名を称えて「南無慧思」というと,宝函は自ら開き,大光明を放って人々を悟りに導くだろう.そうでなければ,私は妙覚をとらない.」(要約)
あるいは,
「願わくば,地獄におちるべき五逆の衆生が臨終に善智識にあい,私の名前[つまり慧思の名]を称えよと教えられて,合掌し十回念じたら,私[つまり慧思]の姿を見ることができるように.そして私の国[つまり慧思の国]に来て,不退転の覚りを得るように.そうでなければ私は妙覚をとらない」(要約.どっかで聞いたことあるような・・・^-^;).
また,この願文のなかで,自分は悪僧によって何度か毒殺されかかったと述べていますが,別のところでは,破戒の悪人を殺し,地獄に突き落とすことは大慈大悲である断言しているそうです.なんとも激しいことです.
このような話だけ聞くと,慧思禅師というのは,自信過剰といいたくなるほどの,そうとう強烈なお坊さんだったように思えます.しかし,その伝記に描かれていた当時の中国の様子を読むと,慧思禅師が激しい言葉を述べられたのもよく分かるような気がしました.
当時の中国はいわゆる南北朝の時代で,国土は分裂し,長い戦争と社会の混乱の中で,多くの人が苦しんでいました.戦いの後,たくさんの死骸のため,川の流れがせき止められてしまったという記録もあるそうです.日本の平安朝末期,あるいは室町末期を思わせるような様相だったのでしょう.
加えて,インドでも戦乱と弾圧とによって仏教が破壊され,末法の時代ががすでに始まっているという知らせが中国に入ってきました.目の前の中国の様子をみても,まさに今は末法の時代だ,そういう強い危機感を慧思禅師は抱かれました.実際,中国で末法ということを最初に言われたのは,この慧思禅師だそうです.
その頃の中国では,仏教が伝わってすでに数百年がたっていました.その数百年の間に,仏教は,国家の手厚い保護を受け,深く研究されていました.しかし,その大勢は,学問的研究に傾き,今のこの私が救われる仏教という受け取り方は希薄だったということです.このような中で,慧思禅師は大乗仏教の教えを身をもって実践しようとしたのでした.このままでは法が滅びるという切羽詰った思い,本当の大乗仏教を再生させなければならないという強い意志から,上のような激しく自信過剰とも聞こえる言葉がでてきたのではないでしょうか.
慧思禅師の晩年に,今まで国家から手厚く保護されていた仏教が,一転弾圧されるという事件がありました.この事件をきっかけに,中国の仏教は,大伽藍の中で遠いインドのお釈迦様の教えを研究する仏教から,いまここで私が救われるための仏教へと再生していきます.ちょうど,古い社会が滅び,新しい社会(隋・唐)が生まれようとしているときでした.そのような時代の中で,達磨・雲鸞・そしてこの慧思に芽生えていた新しい仏教の細い流れが,大河となって流れ始めます.
道綽禅師(561?--645)が生きられたのはそのような時代だったのです.
【補足】以上は,川勝義雄「中国的新仏教形成へのエネルギー:南岳慧思の場合」(『中国人の歴史意識』,平凡社,1993 所収)の感想文です.ただし,かなり荒っぽくまとめてあります.たとえば,慧思の「願文」は,後世の手が入っているという説もあるそうですが,そのような細かなことは元の論文をお読みください.内容にふさわしい緊迫感のある文章で綴られた大変面白い論文です.
なお,慧思「立誓願文」は,Wikisourceのこのページにあります.上の引用は,川勝論文に引用されている和訳と,このWikipediaの漢文を見ながら要約しました(つまり,私がとんでもない誤訳をしている可能性があるということです.確認のほど,よろしく ^-^;).