さいちや しやわせ
もうねんを しらせてもろうたよ
もうねんは よろこびのたね
かかも もうねん さいちも もうねん
もうねんに もろうたが
なむあみだぶつ
『ご恩うれしや』pp.124--125
「涙の数だけ強くなれるよ」という歌があったように思います.いい言葉ですが,でも,涙の数だけ強くなって,弱い人を,苦労が足りないと見下してしまうこともままある話ではないでしょうか.
親鸞聖人にこんなご和讃があります.
無碍光の利益より
威徳広大の信をえて
かならず煩悩のこほりとけ
すなはち菩提のみづとなる-----
罪障功徳の体となる
こほりとみづのごとくにて
こほりおほきにみづおほし
さはりおほきに徳おほし
「さはりおおきに徳おほし」といっても,罪や煩悩が多いほど私の徳が多いというのではありません.煩悩や妄念は阿弥陀如来の光によってとかされて徳になる,つまり,阿弥陀如来の功徳をいただいて,徳に転じられるのです.
妄念に気づかされるのも,その妄念を功徳に転じていただくのも,すべて阿弥陀如来の働きです.そういう阿弥陀様の功徳の大きさが身にしみたとき,同じように妄念に苦しむ人に共感し,優しくなれるのではないでしょうか.「かかも もうねん さいちも もうねん」.あなたも私もともに,妄念にもらった南無阿弥陀仏を称える身です.
涙の数だけ阿弥陀様の徳をいただいてこそ,涙の数だけ強く,そして優しくなれるのではないでしょか.
【補足】
親鸞聖人『高僧和讃』39, 40 (『注釈版聖典』p.585)