もうねんを くやむじゃない
もうねんは
よろこびのたね さとりのたね
なむあみだぶつ
『ご恩うれしや』 pp.126--127
『歎異鈔』に,“煩悩の深さを知らされるにつけ,他力の悲願はまさに私たちのためであったと知らされて,いよいよたのもしく思える”という意味の言葉があります.
妄念ばかりの私こそ南無阿弥陀仏の悲願の対象です.それを才市さんは,妄念は,南無阿弥陀仏の働きによって覚りに至る種,喜びの種と歌っています.
良寛さんにこんな歌があるそうです.
おろかなる 身こそなかなか うれしけれ 弥陀の誓いに 逢うとおもえば
妄念の深さを知らされたとき,落ち込んでしまうのではなく,それを喜びをもって生きる力に転じてくださるのが阿弥陀如来のお働きではないでしょうか.
【補足】
『歎異鈔』第9段(『注釈版聖典』pp.836--837)
しかるに仏かねてしろしめして、煩悩具足の凡夫と仰せられたることなれば、他力の悲願はかくのごとし、われらがためなりけりとしられて、いよいよたのもしくおぼゆるなり。