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ソーセージ製造機の話
旧ブログ 2010年1月11日 (月)

あるところにすばらしいソーセージ製造機があった.右から原料を入れると左からソーセージがでてくる.毎日,滑らかに働き,故障知らずだった.

ところが,ある日,ふと思った.自分はなんてすばらしい機械なのだろう.ソーセージなんか作っているより,自分の仕組みを調べるほうがずっと面白いし,大切なことだ.

そこで,ソーセージを作るのをやめて自分の中を調べ始めた.しかし,止まっている機械はぜんぜん面白くないし,すばらしいとも思えない.こんなつまらない機械ではなかったはずだがと探求を続けているうちに,やがてサビがきて,壊れてしまった.

【教訓】動いていてこそすばらしので,動きを止めて自分の内を覗き込んでも,つまらないものを発見するだけだ.

 バートランド・ラッセルのある本で読んだたとえ話です.高校か大学教養の頃でしたか,読んだ当初はむしろ反発を感じたように記憶しています.自分自身を深く見つめることが基本ではないか,と.でも,だんだん,共感するようになりました.

 ラッセルは懐疑論・無神論を標榜していたと思いますが,自分の罪に熱中するなという教えと似た結論に達しているところが面白いところです.まぁ,ラッセルに言わせれば,宗教なんてどいつもこいつも,自分の心を覗き込むのに熱中しすぎということになるのでしょうが.

ラッセルの本というのは,たぶん,角川文庫の『幸福論』です.ただし,確認していません.ラッセルの人生論風の本は,一時いろいろ読みましたので,別の本だったかもしれません.たとえ話についても,ウン十年前に読んだときの記憶で書いていますので,違っているかもしれません.

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