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才市の詩
入り口に掲げた詩
2003年 2月- 3月

2月 26日, 2003年

乗り換え 乗り換え
われは業の汽車に乗っておるぞよ
乗り換えよ 乗り換えよ
なむあみだぶの汽車に乗り換え
ありがたや
業のありたき[ありったけ]
まるで乗せられ
ご恩うれしや なむあみだぶつ

温泉津に鉄道が開通したのは才市さんが70歳頃のことです. 才市さんは, 煙を吐き轟音を立てながら突き進む蒸気機関車に, 地獄へとまっしぐらに進んでいく自分の姿を見たのでしょうか.

しかし,その汽車が浄土へと向かっているならば, これほど頼もしいものはありません.

しかも,歩くのにくらべ,なんと楽なことか. 荷物を抱えていても汽車に乗ってしまえば苦になりません. 昔の人はみなそうだったのでしょうが,才市さんも,仕事に聴聞にと,実によく歩いていたようです. いままで長い時間をかけてテクテク歩いていたその道のりを,初めて汽車で旅したときの感動が想像されます.

念仏は,陸路を歩くのに対し船で旅をするようなものだ,というたとえがありますが,「なむあみだぶの汽車」というたとえからは, 鉄道開通当時の驚きが生き生きと伝わってくるようです.

3月 23日, 2003年

あさましや 凡夫の心は 生臭猫よ
ニョコニョコと
好いたことには 頭を出すよ
あさましや
慈悲のおん手で 頭を押さえ
なむあみだぶつ なむあみだぶつ

あるテレビ番組で,味噌か何かの製造元を訪れた‘リポーター’が,「良い味をだすために,そんなことにまでこだわっていらっしゃるのですね」とそこの主人に向かって言うのを聞き,仰天したことがあります.「こだわる」もついに誉め言葉になってしまったか,と.

これ,「こだわる」の本来の意味からは随分失礼な言い方ですよね. どうしてこんな言い方が広まってしまったのでしょうか. 何の根拠もありませんが次のようなことではないかと想像しています.

たとえば,「味にこだわる」という言い方. これは,「食事は三度三度食べられれば十分で,味がどうのこうと言うのは贅沢である.それは分かっているが,それでも私は味にこだわってしまう」というような,自己否定をほのめかす,ちょっと屈折した意味合いで言われ始めたのではないでしょうか. こういう屈折した言い方というのはかっこいい所がありますね. そこで盛んに真似され広まっていくうちに,本来持っていた微妙な否定的な意味合いが消えてかっこ良さだけが残り,ついには誉め言葉になってしまった・・・.

ある目標をひたむきに追求する姿には美しいものがあります. でもそれは,猫が好きなものを狙って性懲りもなく頭を出すのと同じことかもしれません. 「こだわる」という言葉の否定的な意味合いをもう一度思い出す必要があるのではないか・・・ 才市さんのこの詩から,そんなことを感じました. (「慈悲の御手で頭を押さえ」というのも良い言葉ですね).


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