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ダンス・マカブルと真壁踊りのこと
旧ブログ 2018年10月 5日 (金)

 学生の頃,怪奇小説とのかかわりで,“ダンス・マカブル”(死の舞踏)というのに行き当たり,ホルバインの絵を集めた本を眺めたりしていたことがあります.これは,骸骨の姿をした死が社会のあらゆる階層の人々を迎えに来る様子を描いたもので,さまざまな格好で人を死に引っ張っていく骸骨が描かれていました.でも,これも怖い,空しい,だけではないのですね.

 

国王,修道院長,貴婦人などは否応なしに引き立て,引きずっていく死も,農夫にはその畑仕事を助け,老辻音楽家には優しく手を引き,楽器を持ってやり,永遠の安息への道連れとなる
(木間瀬, p.17)

 “ダンス・マカブル”の「骸骨」の多くは,皮や筋が残っていて,ちょっと気持ち悪いものも多いのですが,ホルバインの絵などは,次々と見ていくと,むしろ,サバサバした感じが強くなってきます.なんというか,みんな骸骨になるんだ~,この世のことで悩んだり悲しんだりしなくてもいいぞ~って感じ・・・.以前,『二人比丘尼』の骸骨の歌を紹介しましたが,あんな感じです.

想えばそこに複雑なことはなにもない.どうせ死んで骨になるだけ.こういう「身も蓋もなさ」が私は大好き.
(養老, p.26)

 因みに,「二人比丘尼」に私を導いてくれたのは澁澤龍彦ですが,その澁澤氏に「六道の辻」という小説があります.

室町時代の京都に,(おそらくは真壁という名から)マカベと呼ばれる男がいて,マカベ踊りなるものを行った.彼が,骨と皮ばかりの骸骨のような姿で笛を吹き,鉦鼓を叩くと,それに合わせて,老若男女,身分の区別なしに踊り狂う.その踊りが「死の前にはみな平等である」という意味であることは誰の目にも明らかだった・・・(要旨)

 作者は最後に,ほぼ同じ時代にヨーロッパで“ダンス・マカブル”,すなわちマカブル踊りなるものが流行したのは,偶然というにはあまりにも奇妙な一致である --- と述べています.もちろん冗談ですが,こういう冗談,大好きです.

【補足】

 ホルバイン:ドーヴァー社(?)の絵本を持っていたのですが,行方不明.「Holbein, Dance of Death」で検索すればたくさん出てきます.上記,木間瀬氏の本にも小さいですが,たくさん再掲されています.

 木間瀬:木間瀬精三『死の舞踏』(中公新書, 1974).

 養老:養老孟司『骸骨考: イタリア・ポルトガル・フランスを歩く』(新潮社, 2016)

 『二人比丘尼』の骸骨の歌

 「六道の辻」:澁澤龍彦『唐草物語』所収.ただし,今回は,『澁澤龍彦全種』第18巻を見て書きました.

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