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「海のどこまで、ひびくやら」(金子みすゞ)
旧ブログ 2018年9月28日 (金)

鯨法会は春のくれ、海に飛魚採れるころ。
浜のお寺で鳴る鐘が、ゆれて水面をわたるとき、
村の漁師が羽織着て、浜のお寺へいそぐとき、
沖で鯨の子がひとり、その鳴る鐘をききながら、
死んだ父さま、母さまを、こいし、こいしと泣いてます。
海のおもてを、鐘の音は、海のどこまで、ひびくやら。
 (金子みすゞ「鯨法会」)

 隣町の「さかなの法座」のことについて先に書きましたが,「さかなの法座」と聞いて最初に心に浮かんだのが,金子みすゞの「大漁」とこの「鯨法会」でした.どちらも,漁業が他の命を奪うことを歌っていますが,命を奪う人間の行いを責めるのではなく,命を奪われる側の悲しみに寄り添っている詩です.

 「海のおもてを、鐘の音は、海のどこまで、ひびくやら」.この結びの言葉を読むと,沖で泣いている鯨の子以外の,たくさんの鯨の子の悲しみが思われます.と同時に,海で命を失い,そのまま帰らなかった漁師たち,さらに,海にさらわれて,そのまま海に眠る人々へと思いが広がっていきます.

私が妻と出会った海.
妻が[1611年の三陸津波で]呑みこまれてしまった海へ.
・・・
あの海岸の地中深く沈み込み,砂となった貝や骨といっしょに眠りたい.
そこにはたしかに私の美しい白い妻も眠っているからだ.
 (『かたづの!』, p.382)


 そんなことを思って最初の詩の,「村の漁師が羽織着て、浜のお寺へいそぐとき」という句を読み直すと,お寺に急ぐ漁師たちも,何かしら悲しく思えてきます.他の命を奪いながら生き,大切な人との別れに耐え,そして自らもやがては去っていく・・・.

上の雪
さむかろな.
つめたい月がさして

下の雪
重かろな.
何百人ものせていて.

中の雪
さみしかろな.
空も地面《じべた》もみえないで.
 (金子みすゞ「積もった雪」)

 この詩で歌われていることは,「鯨法会」とはまったく関係がありません.しかし,「鯨法会」の寂しさは,この詩の寂しさにどこか似ているような気がしました.




【補足】
 金子みすゞ:『金子みすゞ童謡集』(角川春樹事務所, ハルキ文庫, 2003).「鯨法会」: pp.26--27.「大漁」: p.12.「積もった雪」: p.179.

 『かたづの!』:中島京子『かたづの!』(集英社, 2014).
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