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言葉の花束
5. 引き算をしてはいけない
2003.03.27
ぼくは犠牲者の数による取引をするつもりはありません。
・・・[中略]・・・
ここで四千人から三千二百二十五人を引き算してはいけない。 足し算をして、九月十一日のテロの犠牲者は七千二百二十五人以上と考えなければならない。
 その上で、そのうちの三千二百二十五人の死はテロの犯人たちの責任、四千人以上はアメリカ政府の責任とするべきです。
池澤夏樹『新世紀へようこそ』第66回(2002年01月10日付け)

引用文中の4000人というのは,アメリカ軍のアフガン空爆によって殺されたアフガニスタン人の数,また,3225人とは,9月11日の同時多発テロで亡くなった人の数です. もっとも,これらの数は,現在ではもちろん当時においてさえ, (池澤氏も指摘している通り)正確なものではありません. しかし,それは文章の論旨とは無関係です.

ここで指摘されているのは,私たちはつい,犠牲者の引き算をしてしまうこと, つまり「犠牲者の数による取引をする」ような思考に陥ってしまうことです. テロの犠牲者は3000人だがアメリカの爆撃による犠牲者は4000人である,だから, アメリカの方がもっと悪い,というあたりまではいいとしても,テロリストたちの罪がこれによって軽減されたような気になってしまうのです.

北朝鮮が日本人拉致を認めた後,日本の朝鮮人学校の生徒が嫌がらせや暴力を受けるということがありました.朝鮮半島の問題で何かあるたびにこのような行為が繰り返されていますが,これが何重にも間違った卑劣な行為であることは言うまでもありません.

まず第一に,何の責任もない生徒を襲う不当さ. 第二に,反撃される恐れのない弱者を襲って怒りを発散させる卑劣さ. そして第三に,このような行為の裡は,「北朝鮮はあんなに酷いことをしたのだから,自分のこの程度の暴力は許せる」という自己正当化が見えること. これは,犠牲者の数を引き算する思考と同じ誤りに陥っているのではないでしょうか.

この事件のときにはさすがに批判が集中し,また,被害にあった生徒を励まそうとした人もたくさんいたそうです.それがせめてもの慰めですが,しかし,いつもこのように問題が見えやすいとは限りません.私自身,こんどの英米によるイラク侵略戦争では,戦争が長引いて英米が苦しむことを期待するような気持ちが心のどこかに潜んでいます. 情けないことです.

主上臣下,法に背き義に違し,忿りを成し,怨みを結ぶ
親鸞『教行信証』(本願寺『浄土真宗聖典(註釈版)471頁)

テロ事件以後のアメリカのことを言っているかのような一句ですが, そう言ってアメリカを非難している自分も「忿りを成し,怨みを結」んでいる点では同じ穴のムジナなのかもしれません.やれやれ・・・.

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