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言葉の花束
2.選択と願い(ハリー・ポッター他)
2002.01.15
ハリー,自分がほんとうに何者かを示すのは,持っている能力ではなく, 自分がどのような選択をするかということなんじゃよ.
J.K.ローリング/松岡 祐子 訳『ハリー・ポッターと秘密の部屋』, p.489

大人気の「ハリー・ポッター」シリーズ,もうお読みになりましたか.私も子どもにつられてつい....

さて,魔法使いになる勉強をしているハリー・ポッターは, 第二巻の物語の終わりで, 悪の道に走った魔法使いと同じ資質を自分も持っていることに気づきます.

ではなぜ,そのような資質を持つ者が集まるスリザリン寮ではなく,グリフィンドール寮に入ったのか.

「僕がスリザリンに入れないでって頼んだからに過ぎないんだ・・・・」.

つまり, 資質的には自分はスリザリンだと改めて思い知らされてしょげ返るハリーに,魔法学校の校長,ダンブルドアがいう言葉がこれです.

自分が今どうであるかより、どんな人間になりたいと思っているかが大切だということでしょうか。

星を求める蛾の願い

これは有名な句だと思いますが(外野席から「知らん」という声あり),出典はしりません.どなたかご存知ありませんか? 蝶に比べると嫌われることの多い蛾だからこそ印象的な言葉です.

汝,眼を上げて高きを見よ

聖書の一節です.旧約聖書の『イザヤ書』だったように思いますが, 確認していません.

わが望み高けれど,わが能力(ちから)遥かに及ばざる

これも出典不明.というか,映画『若草物語』で聞いた(字幕で見た?)言葉で,聖書か賛美歌の一句だと思います.出典をご存知の方,お知らせください(若草物語を読んでみればいいのですが...).

映画では「万人を打つ言葉」と紹介されていたように記憶しています.

この言葉を,自分の能力の限界を知らされるのは高い望みを持ったとき,と言い換えてもいいかもしれません.最高の望み・願いとはどんなものかを知らされたとき,あるいは,そのような願いを抱く真に理想的な人間に出会ったとき,私たちは自分の限界を知らされ,また,胸を打たれるのではないでしょうか.


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