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言葉の花束
1.無常(散る花)
2000.10.30
そよともせぬ沈黙があたりを領していた.ちょうど頭の真上に,一本のばらの蔓がものうげにたれさがっていた.突然,いちばん美しい一輪のばらがくずれて,散り去った.花弁の雪が空中にひろがった.死んでゆく,美しい,無垢の生命にも似ていた.いかにもさりげなく....
ロマン・ロラン(井上勇訳)『ジャン・クリストフ』2, 三笠書房, 453頁
春ふかみ 枝も揺るがで散る花は 風のとがにはあらぬなるべし
西行『山家集』上,春128番(『岩波古典文学体系』29巻,p.40)

無常とは,この世界のありようです. それは,良いことでもなければ悪いことでもありません. ただ,世界がそうなっているだけです. しかし,私たちは,無常を無常として受けとめることができない. 世界を,あるがままの姿で受け入れることができない. そこに苦しみが生じます.

無常を生命のあるがままの姿と捉えた上の言葉にさえ,どこかしら悲しみが漂っているように感じてしまうのです.

ずっと昔に読み,題名も作者も忘れてしまったあるSF短篇の粗筋をご紹介しましょう. 記憶によって書いてますので,原作とは違っているかもしれません.

宇宙時代,ある惑星で探検隊がハリケーンに襲われて遭難した. そこで,たまたま近くを通過した大型旅客宇宙船から, 救援物資を満載した救命艇が差し向けられた.

飛び立ってまもなく,救命艇のパイロットは, 艇内に密航者が潜んでいるのに気付く. それは,聡明で快活な,しかしまだあどけなさを残す少女だった.

遭難した探検隊には自分の兄がいる.宇宙での密航は重罪で, 発見された場合は直ちに船外に放り出される(つまり死をもって罰せられる) ことは知っているが,居ても立ってもおられず,この救命艇にもぐり込んだ. 兄の所につれていって欲しい....

困惑し,悩んだ末,パイロットは真実を告げる. この救命艇には, 1kgまで正確に計算した質量の物資が積み込まれている.少しでも重ければ, あの惑星に着陸する前に燃料がなくなってしまう. かと言って,旅客船に引き返すだけの燃料もない. 君がこの艇内に留まる限り,あの惑星に激突するか, このまま宇宙をさ迷って死を待つか,二つに一つである.いずれにせよ, われわれも探検隊も助からない. 密航者は発見次第船外に投棄すべし,という規則は罰ではない. 自然の法則である,と.

自然は何て冷酷なの,と嘆く少女にパイロットは 言う.

物理法則は冷酷ではない.単なる事実である. 密航者が極悪非道な犯罪者であっても, 兄を思う少女であっても,あるいは, 小麦粉の袋が一つ多すぎた場合でも, 余分な質量は船外に投棄しなければならない.

探検隊を襲ったハリケーンも,探検隊を 「襲った」のではない.単に自然の法則に従って発生し, 移動しただけだ.その進路に探検隊がいたとしても, それは自然の関知するところではない.

自然は冷酷でも温情に溢れているわけでもない. ただ,己の法則に従い,人間には無関心なだけだ. それを冷酷と感じるのは,人間の身勝手である....

少女は,惑星上の兄と無線で短い別れの言葉を交わした後, 自ら艇を出る.

慣性で,救命艇と共に宇宙を進む遺体にパイロットは一人語りかける. 一緒にあの惑星に行こう,と....

この小説から,「盲目の(運命の)神」という言葉までは,ほんの数歩でしょう. 「神々は戯れに人を殺す」という言葉を聞いたこともあります (シェイクスピア? アイスキュロス? 確認が取れませんでした). あるがままの世界をあるがままに受け入れられないのに, それに直面せざるを得ない....その時, 私たちは深いペシミズムの淵へと引き寄せられていくようです.

【付記】早川書房に『世界SF全集』という叢書があります(ありました?).最後の2巻が確か短篇集に充てられていて(?),上のSFは,その2巻のどちらかに収録されていたような記憶がありますが,定かではありません(本が手許にない).また,題は「冷たい方程式」または,「密航者」だったような気がします.


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