これが角の生えた肖像画だね.ちょっと角が分かりにくい...
絵をクリックしてもらえば,拡大図と,全体の写真が見られる.
本当に角が生えていたわけでは....
もちろん違う. この角は,才市さんの頼みで書き加えられたものだ. 下の写真は,肖像が描かれたのとほぼ同じ頃の才市さんの写真だ.
どうして角なんか描いてもらったの?
才市さんは,今日のように広く知られてはいなかったけれど, 地元では,お寺参りに熱心なことは知られていた.それを,立派だと誉める人がいたらしい. でも,才市さんはそんな誉め言葉がたまらなかった. 自分はそんなに立派な人間ではない.だからこそ掌を合せるのだ. 本当の自分の姿を見て欲しい. そんな気持ちで,地元の日本画家,若林春暁に,この絵を書いてもらったという.
角が生えているというから,もっと恐い顔をしているのかと思ってた
そこが,この絵の大切なところだろう.
角が生えているのは,私たちの心を表わしている.
仏教用語でいうと「罪悪深重の凡夫」だ.その私が,
穏やかな表情で手を合せている.仏によって救われた姿だ.
迷いや苦しみの元になる欲望(つまり「煩悩」)を持った私たちが,
そのままの姿で丸ごと救われる.そういうふうにこの絵を味わうことができる.
才市さんには,こんな歌がある.
あさましの 邪見のつのが生えたまんまで
親にとられて なむあみだぶつ なむあみだぶつ
全体の写真を見ると,上のほうに漢字ばかりで何か書いてあるけど.
才市さんは,絵が完成すると,自分の本当の姿を皆に見てもらおうと安楽寺に持ってきた.そこで,住職の梅田謙敬は,法座の時,本堂に掲げてお参りの人に見てもらい,その後,上部に漢詩(賛)を書き加えた.
何て書いてあるの
原文と読み下しは,上の絵をクリックして, 全体図を見てもらうとして, おおよそこんな意味だ.
角があるのは凡夫(機)の姿.
掌を合わすのは仏の働き(法).
仏は凡夫を救い取り(摂),
凡夫の行動・言葉・心(三業)は穏やかになる.
私を地獄へと運ぶ火の車は消え去り,
心は喜びに満たされる.
臨終を待たなくても,
お浄土を約束された身にならせていただいた.
カウンセリングでは,まずクライアント(相談者)を「受容」 しなさい,って言われるけど,阿弥陀様は理想的なカウンセラーなのかな.
昔から,釈尊(お釈迦様)を名医にたとえる ことは多いから,ま,それにならえば,阿弥陀如来をカウンセラーにたとえても いいかもしれない. もっとも,ただ受容するだけではないのだけども....