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才市って誰? その2
角の生えた肖像
1999.12. 5, 2015. 3. 4 改

角の生えた才市の肖像
才市の写真

これが角の生えた肖像画だね.ちょっと角が分かりにくい...

絵をクリックしてもらえば,拡大図と,全体の写真が見られる.

本当に角が生えていたわけでは....

もちろん違う. この角は,才市さんの頼みで書き加えられたものだ. 下の写真は,肖像が描かれたのとほぼ同じ頃の才市さんの写真だ.

どうして角なんか描いてもらったの?

才市さんは,今日のように広く知られてはいなかったけれど, 地元では,お寺参りに熱心なことは知られていた.それを,立派だと誉める人がいたらしい. でも,才市さんはそんな誉め言葉がたまらなかった. 自分はそんなに立派な人間ではない.だからこそ掌を合せるのだ. 本当の自分の姿を見て欲しい. そんな気持ちで,地元の日本画家,若林春暁に,この絵を書いてもらったという.

角が生えているというから,もっと恐い顔をしているのかと思ってた

そこが,この絵の大切なところだろう. 角が生えているのは,私たちの心を表わしている. 仏教用語でいうと「罪悪深重の凡夫」だ.その私が, 穏やかな表情で手を合せている.仏によって救われた姿だ. 迷いや苦しみの元になる欲望(つまり「煩悩」)を持った私たちが, そのままの姿で丸ごと救われる.そういうふうにこの絵を味わうことができる.
才市さんには,こんな歌がある.

あさましの 邪見のつのが生えたまんまで
親にとられて なむあみだぶつ なむあみだぶつ

全体の写真を見ると,上のほうに漢字ばかりで何か書いてあるけど.

才市さんは,絵が完成すると,自分の本当の姿を皆に見てもらおうと安楽寺に持ってきた.そこで,住職の梅田謙敬は,法座の時,本堂に掲げてお参りの人に見てもらい,その後,上部に漢詩(賛)を書き加えた.

何て書いてあるの

原文と読み下しは,上の絵をクリックして, 全体図を見てもらうとして, おおよそこんな意味だ.

角があるのは凡夫(機)の姿. 掌を合わすのは仏の働き(法).
仏は凡夫を救い取り(摂), 凡夫の行動・言葉・心(三業)は穏やかになる.
私を地獄へと運ぶ火の車は消え去り, 心は喜びに満たされる.
臨終を待たなくても, お浄土を約束された身にならせていただいた.

カウンセリングでは,まずクライアント(相談者)を「受容」 しなさい,って言われるけど,阿弥陀様は理想的なカウンセラーなのかな.

昔から,釈尊(お釈迦様)を名医にたとえる ことは多いから,ま,それにならえば,阿弥陀如来をカウンセラーにたとえても いいかもしれない. もっとも,ただ受容するだけではないのだけども....


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