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[才市] またお前も照らされて
旧ブログ 2017年2月12日 (日)

よろこびは胸にある
また雲が掛ける[掛かる]かい
掛けば掛け
またお前も照らされて
掛けば掛け
掛けるこそよいよ 身が楽で
掛けるこそ 慚愧のもととなる
うれしや なむあみだぶつ なむあみだぶつ
(才市さん 楠二, 02:21)

 お釈迦様のお弟子の一人にアングリマーラ(指鬘外道, アヒンサ)という方がいらしたそうです.出家前は残虐な殺人を繰り返した盗賊で,そんな「過去」を背負いながら,修業に励まれた方です.しかし,出家した後も,教団の外の人々からは凶悪な殺人鬼として憎まれ,怨まれ,迫害されました.石を投げられ,血だらけになって托鉢から帰ってきたこともあったそうです.そんな彼が,自らを励まして次のような言葉を口にしたと言われています.

(872) 以前には悪い行いをした人でも,のちに善によってつぐなうならば,その人はこの世の中を照らす.--- 雲を離れた月のように

おそらく,同じようなことを釈尊から言われ,それを自分に言い聞かせていたのでしょう.
 「自業自得」という言葉があります.これは,苦しい境遇を主体的に引き受けようとする言葉のはずですが,しばしば,人を過去に縛り付けるような使い方がされます.上の偈文は,そんな私たちを過去から解放してくれる言葉です.

 だけど,やっぱり自分や他人の過去に捉われてしまう私がいます.
 手塚治虫の『ブッダ』には副主人公とでも言うべき人々がたくさん登場しますが,その中にタッタという男がいます.彼は,コーサラ王によって家族や親しい人々を殺され,王への復讐を誓いますが,やがて釈尊に出会い,心の平安を得ます.ところが,コーサラ国との戦争が始まると昔の怒りが甦り,お釈迦様の制止も聞かず,戦いに身を投じて,あっけなく戦死してしまう.
 復讐の念に駆られて戦場に駆けつけることが間違いであり,自分や親しい人を不幸にすることは分かっていても,怨念に引きずられる自分を止めることができなかったのです.雲から離れて輝こうと努めても,自分からまた雲を呼び寄せてしまう・・・.
 そんな私たちを,雲があるままで照らし,雲ごと輝かせてくださるのが阿弥陀様の光でした.それに気付かされたとき,雲へのこだわりから自ずと解放される(「掛けば掛け 掛けるこそよいよ」)のではないでしょうか.

【補足】
 才市さん 楠二, 02:21:楠恭編『妙好人才市の歌 全』の二, 第2ノート, 21番(p32). 用字,改行などを読みやすく改めました.

 アングリマーラ(指鬘外道):増谷文雄『ブーダ・ゴーダマの弟子たち』(現代教養文庫,1997), p.227以下.なお,偈の引用と番号は,中村元訳『仏弟子の告白: テーラガーター』(岩波文庫,2007), p.172から.

 タッタ:架空の人物だそうですが,もっとも重要な副主人公のように思われます.今手元にあるのは全12巻にまとめられた文庫本(潮ビジュアル文庫,潮出版, 1992--1993)ですが,タッタは最初の章で登場し(第1部第1章. 第1巻, p.29に出てくるトラが最初のお目見え?),その最後は,第6部第12章(第12巻)で描かれています.
 なお,アングリマーラ(アヒンサー)はこの漫画では,第5部第4章(第9巻)で登場し,第6部第5章(第11巻)でこの世を去って行きます.釈尊が最後に与えた言葉は,「百人殺すのはよくない.だがな,ひとりを生きながらえさせるのは,とうとい百万人になる」(お前が命を助けた一人の赤ん坊は,その子孫がやがては百万人になるだろう).

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