学生の頃聞いた科学史の講義で,『Nature of Science』という題名の本を紹介してもらったことがあります.「自然科学 Science of Nature」をひっくり返して題名にしたわけですが,これについてこんな説明がありました.
この題名の“Nature”は「自然」というより,「本性」,さらに言うならば「正体」と訳した方が,著者の意図がはっきりします.「幽霊の正体見たり枯れ穂花」の「正体」,つまり「Scienceの正体見たり」という感じの題ですね.
こんな寓話があるそうです.
川岸でサソリ(蝎)がカエル(蛙)を見つけ,話しかけました.
【蝎】「向う岸に渡りたいんだ.背中に乗せて運んでくれないかな」
【蛙】「とんでもない.途中でボクを刺す気だろう」
【蝎】「そんなことはしないよ.だって,そんなことしたら一緒に溺れちゃうだろ」
カエルは納得し,サソリを乗せて川を渡り始めましたが,途中で背中に鋭い痛みを感じます.身体が痺れはじめ,二匹はいっしょに川に沈んでいきました.
【蛙】「どうして.一緒に死んじゃうのに・・・」
【蝎】「ごめん,どうしようもなかったんだ.これが僕の本性 my nature だから」
ある映画の中で引用されて有名になった寓話だそうです.この「nature」は「本性」と訳すとサソリの悲しみが感じられるような気がします.間違っていることは分かっていても,そうしてしまう・・・,“It is my nature...”
悪性さらにやめがたし
こころは蛇蝎《じゃかつ》のごとくなり
・・・
(親鸞聖人,『正像末和讃』96)
「こころは蛇蝎のごとくなり」.サソリの悲しみは私の悲しみなのでした.
【補足】
親鸞聖人,『正像末和讃』96:『真宗聖典 注釈版』(1989), p.617.全体を引用しておきます.
悪性さらにやめがたし
こころは蛇蝎《じゃかつ》のごとくなり
修善も雑毒なるゆゑに
虚仮の行とぞなづけたる
サソリとカエルの寓話:ネット上にたくさんの記事がありました.ベトナムの寓話だ,オーソン・ウェルズの映画からの引用だ,いや,そのウェルズもイソップ物語を参照しているなど,諸説ありますが,未確認です.解釈もいろいろあるようで,サソリは自分の命を犠牲にしてまでも自分らしさ(my nature)を貫いた,という解釈もあるようです.
ある映画:『The Crying Game』という映画だそうですが,見ていませんが,この寓話が出てくる場面(約4分弱)が You Tube にアップされていました.上の引用は,これを見て,自由に要約しました.なお,字幕では「僕の性《さが》だから」と訳してありました.「性」というのはまさにぴったりの訳語ですが,なんとなく演歌の臭いがするような気がして,個人的な好みから避けました.なお,「自然」には,本来,「本性」に近い意味があるようです.敢えて「自然」と訳した方が,サソリがこの一句に込めた悲しみが伝わるような気もします.
この寓話を聞いたのは比較的最近(1年くらい前?)ですが,なぜか心から離れず,どうしてだろうと考えてみた結果が上の文章です.説明になっているかな? 「私がガラスのナイフなら,あなたを刺して砕けてしまいたい」という意味の歌が中島みゆきにあったように思いますが,それと似た感じ?
『Nature of Science』について講義してくださったのは,柏木肇先生です.名古屋大学で先生の講義を聴講したのは40年も前のことで,先生もずいぶん前にお亡くなりになりしたが,今でも,私の師です.