さいちが かかさん≪母さん≫の名はなんとういうか
へ わたしがかかさんの名は
あみださんと もうします
かかさんの声は どんな声がするか
へ 声はなむあみだぶつの声がしまするよ
さいちが名は なんというか
へ なむといいます
(『ご恩』, pp.78--79)
中島みゆきの「イヤリングを外して 綺麗じゃなくなっても」と始まる歌にこんな一節があります.
もしも明日 私たちが何もかもを失くして
ただの心しか持たない やせた猫になっても
もしも明日 あなたのため何の得もなくても
言えるならその時 愛を聞かせて
(中島,「あした」)
自己責任や自己啓発がもてはやされるご時世では,これは,とんでもない要求かもしれません.愛されるためには,自己を高め,愛されるに値する自分になるように努力しなければならない.そんな向上心もなく,みすぼらしい猫になり下がって愛を失っても,それは自己責任である・・・.
しかし,私たちの心の底には,無価値な自分をそのまま愛して欲しいという思いが確かにあります.自分自身では認めたくない,ましてや,相手に要求することなど,とてもできない思いではありますが.
初参式でお話しすることを探して,ネットをあちこち覗いていたら,あるサイトで次のような言葉を見つけました.
何があっても,最後まで子供に寄り添っていくのが親である.しかし,本当の親であることは難しい.
「親」をこのように定義すれば,浄土真宗で,阿弥陀様を「親さま」と呼ぶ理由がよく分かります.さらに,いわゆる,「母性原理」と「父性原理」を思い起こせば,才市さんが阿弥陀様を,父親ではなく母親に喩えていることも納得できます・・・などと,屁理屈こねなくても,こんなこと感覚的に分かることですね.
初参式では,親自身が阿弥陀様の無条件の慈悲に気付き,そして,せめて自分の子に対しては本当の親でありたいという思いを新たにするのが初参式,というようなお話をさせていただきました.
【補足】
『ご恩』: 石見の才市顕彰会編『ご恩うれしや』.
中島,「あした」:中島みゆき作詞 作曲 「あした」.『夜を行け』(1990)所収.中島みゆきはどれもいいけど,この『夜を行け』(CD)は特にいいですね.「夜を行け」で始まり「with」で終わる構成もすばらしい.「with」はあまり言及されないような気がしますが,私の好きな歌の一つです.あるいは,ビルの隙間を飛ぶ場違いなカモメと自分を重ねた「紙切れみたいな人生がねぐら探している」という歌詞のある「3分後に捨ててもいい」,「もう二度と傷つかないで」という祈りのあと,長い後奏が続く「ふたり」など.
「親」を定義しているあるサイトは,どこだったか分からなくなりました.
「母性原理」と「父性原理」については,性的役割を固定するもの,という批判があるかもしれません.ここでは,そういう論点があることを確認するに止めておきます.