信心は 衆生済渡の元入れで
もろうて[もらって] いただく なむあみだぶつ
(楠二, 04:068)
中島みゆきの「糸」という歌を聞かれたことがあると思います.「縦の糸はあなた 横の糸は私 織りなす布は・・・」という繰り返しの後,「あうべき糸に出あえることを 人は しあわせと呼びます」と結ばれるあの歌です.結婚式の定番になっているとか.
でも,"あうべき糸に出あえて,美しい布を織ることができた,よかった、よかった" で終わらないところが中島みゆきの真骨頂ですね.
こんな糸がなんになるの 心許なくてふるえてた風の中・・・
織りなす布は
いつか誰かを暖め得るかもしれない・・・
いつか誰かの傷をかばうかもしれない
こんなどうしようもない糸でも,あうべき糸に出あえば,誰かを暖める布になれるかもしれない.だからこそ,あうべき糸に出あうことをしあわせと呼ぶのです.
お浄土に生まれさせてもらうのも同じことです.お浄土に生まれてメデタシ,メデタシ,オシマイ,ではありません.お浄土でこの私が,衆生済度の身にならせて頂けるからありがたいのです.
才市さんも口あいのなかで,お浄土に生まれさせてもらうのと同じくらい,衆生済度の身にならせてもらうことをよろこんでいます.この口あいでは,下駄屋という商売をしていた人らしく,信心は衆生済度の元入れと歌っています.元入れを元手に商売をする。同様に、信心は、この私が衆生済度をさせていただく元手、阿弥陀さまからいただいた元手なのでした.
【補足】
楠二, 04:068: 楠恭編『妙好人才市の歌 全』の二, 第4ノート68番(p.121). 用字,改行などは読みやすく改ました.
この口あいはちょっとわかりにくいところがあります。「信心は 衆生済渡の元入れ」は、上に記したのとは別の解釈が可能かもしれません。また、「もろうて いただく」は、阿弥陀さまから「もらい、そして、いただく」という畳語的な表現だと思いますが、「もらい奉る」と似た謙譲表現かもしれません。阿弥陀さまに「もらっていただく」という意味ではないと思います。いかがでしょうか。
中島みゆき「糸」: 『East Asia』所収.このアルバムはネット経由download販売で買ったため,歌詞カードなどはなく,耳で聞いた歌詞をかなり自由に(順序も入れ替えて)引用しました.