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[才市] 衆生済度をさせてよろこぶ
旧ブログ 2014年6月30日 (月)

わしがおやさま よいおやさまで 
おやひとり 子ひとりで 
なむのこどもに あみだのおやが 
衆生さいどをさせてよろこぶ 
なむあみだぶつ
(『ざんぎとかんぎ』, pp.66--67)

熊谷直実という人
 前々回でしたか,熊谷直実(沙弥法力)について記しましたが,この直実は,なかなか興味深い人物のようです.
 熊谷直実というと,私たち真宗の者にとっては,まず,『御伝鈔』の中の登場人物ですが,むしろその絵(『親鸞聖人伝絵』,報恩講や御正忌の時,右余間に掲げられるあの絵)の方が印象的です.たくさんのお坊さんが座っている部屋の縁側に,一人のお坊さんが座っている場面がありますが,あのお坊さんが直実です.
 よく見ると,直実さん,草履を撥ね飛ばし,頭の後ろに手をやって,大口を開けて何か叫んでいるます.「信行二座」の場に遅刻してやってきた場面ですが,「やぁ,悪い,悪い,遅刻したぁ.ところで何やってんの?」というドラ声が聞こえてきそうな感じです.
 また,平敦盛を打ち取るなど,源平合戦で多くの人を殺した罪におびえて出家したという話もよく知られていると思いますが,この出家の時,刀を研ぎながら法然上人を待っていたという話(伝説?)をこの度初めて知りました.自分ほど罪深い人間がたやすく助かるわけはない,法然上人から,お前のように罪深いものは,この場で腕を切り落とせ,命を捨てよと言われたらそうするつもりで刀を研いで待っていたのだそうです.
 あるいは,関東に帰るとき,西方の阿弥陀様に背を向けないようにと,馬に後ろ向きに乗ったとか,まだ武士の頃,口下手なため裁判で自分の言い分をうまく言うことができず,とうとう頭にきて書類を破り捨て,裁判所から走り出してそのまま出家してしまったとか・・・.
 そういえば,この前ご紹介した逸話にもこんなくだりがあります.法然上人が月の輪殿を訪問するとき,直実は招かれていなかったので,ついて行くのを止めようとしたのだけど,そんなことしたらこの変人が何をするか分からないので(「さるくせものなれば」),そのまま連れて行った・・・.そうとう癖の強い人物と見られていたようですね.
 どうも,飾り気がなく,豪胆で直情的だけど,その分,周りの“空気”を察して要領よく生きるのが下手な人だったようです.
 なお,この直実さん,物語や能などの世界では,平敦盛を打ち取った武将として,いろいろなところに顔を出していいるようです.織田信長が「人間五十年年・・・」という幸若舞を一差し舞ってから桶狭間の戦いに出陣したという逸話がありますが,この「人間五十年・・・」は,『敦盛』という演目の中で直実のセリフとして謡われるものだそうです(これも今回初めて知りました).

直実は上品上生の往生を願ったが・・・
 さて,この直実,自分は,上品上生の往生を遂げる,そうでなければ,極楽往生は辞退するなどと言っていたそうです.
 『観無量寿経』では,人間一人一人の能力に合った往生の方法が説かれています.健康のための運動メニューが,一人一人違うようなものですね.そのために,能力の区分けをするわけですが,そこではまず,人を,修業ができる人とできない人に分けます.そして,修業ができない人間を上品・中品・下品の三種に分け,それぞれについてさらに,上生・中生・下生の三つに分けます.つまり,上品上生(上の上)から下品下生(下の下)まで9段階に分けるわけですね.そして,それぞれの段階の人間に相応しい往生の方法が説かれているわけですが,直実は,自分は上品上生,つまり,最上級の人間としての往生を遂げる,そうでない往生は辞退すると言ったわけです.
 これは,きわめて不遜な発言のように聞こえます.実際,「あの恵心僧都ですら,下品上生(つまり上から7番目)の往生を願われたのに,末法の世のお前ごときが1番を望むなんて」と非難もされたようです.
 実際のところ,阿弥陀仏の真理の光に照らされたとき,私たちは,自分は下品下生(9番目=最低)以外の何物でもないことが知らされます.そして,そのような私のために阿弥陀仏は「南無阿弥陀仏」を用意してくださったので,私たちはただ,南無阿弥陀仏を称えればよい・・・そう聞かせていただくのが浄土真宗の信心です.したがって,直実の言い草は,親鸞聖人のみ教えとは正反対のように聞こえます.でも,信行二座の場面では,直実は,法然上人のみ教えを親鸞聖人と同じように領解されていた数少ないお弟子の一人として描かれています.親鸞聖人と直実は,近かったのでしょうか,遠かったのでしょうか.

衆生済度の身となるために
 上品上生の往生以外はお断りというと,実に不遜な言い方に聞こえます.私はあなた方,下劣な人間とは違うんです,と.でも,直実がそう願った理由や,それが実現可能だと信じた理由を聞くと,必ずしもそうではなく,意外と親鸞聖人に近いような感じがします.上品上生の往生が可能な理由についてはひとまず置いといて,ここでは,なぜ,直実はそれを願ったかを見ると:

極楽に生まれれば,その身の楽しみは,下品下生でも限りない.だけど,衆生済度の身になるためには,上品上生として往生しなければならないそうだ.私は,お浄土に生まれたら,一切の衆生をお浄土に迎えるため(衆生済度のため)に働きたい.だから,上品上生の往生をしたい.自分自身が楽をするだけの往生は辞退する(『法然上人伝絵』(上), p.327.大意)

 当時,上品上生の往生でなければ,往生しても衆生済度の身にはなれないという説があったそうです.お念仏は,劣った人間のための,いわば救命ボートのような,本船に比べればちゃちな乗り物だとう考え方がいかに根強いものだったか感じさせる説です.
 しかし,お念仏往生こそ阿弥陀様のご本願で,救命ボートどころか大船であるというのが浄土真宗のお領解です.その点では,直実は,お念仏への伝統的な偏見に足を引っ張られていたと言えるかもしれません.
 しかし,そのような限界にとらわれた時,“衆生済度の身になれなくても極楽で楽をできるのならそれでいい”と言うのではなく,“衆生済度の身になれないなら,極楽往生を願う意味がない”と言うところに(そして,衆生済度の身になれるような往生の道が阿弥陀様によって自分にも開かれていると信じているところに),阿弥陀さまのご本願が,直実にも確かに届いていると感じるのですが,いかがでしょうか.

【補足】
 『法然上人伝絵』(上):大橋敏雄 校註,岩波文庫, 2002.

 熊谷直実の逸話は,この『法然上人伝絵』(上)のpp.324--340(巻27)と『Wikipedia』などによりました.

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