目にみえぬ じひがことばにあらわれて
なむあみだぶと こえでしられる
なむあみだぶを きくときは
おやの名に こめられてきく
なむあみだぶつ
ごおんうれしや なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』, pp.150--151)
数日前でしたか,松本幸四郎が『ラ・マンチャの男』1200回公演を達成したとういうテレビ番組がありました.『ラ・マンチャの男』の舞台は見たことがありませんが,映画『ラ・マンチャの男』は私の好きな作品の一つです.
その映画の中で,‘安宿のあばずれ女’を理想の女性,貴婦人ドルシネーアだと思い込んだドン・キホーテが,彼女に向かって「ドルシネーア」と呼びかける場面(歌)があります.女の方は,“何言ってんのよ.卑しい田舎女なのは一目でわかるじゃないの.人をバカにしてるの!”って感じで腹を立てるのですが,ドン・キホーテはただひたすら,「ドルシネーア,ドルシネーア」と呼び続ける.それを聞いていると,だんだん妙な気分になってきます.彼女は,現実には田舎女である,しかし,本当は,理想の女性ドルシネーアであるべきで,間違っているのはドン・キホーテではなく,現実の方だ・・・と.作中の女も,ドルシネーアと呼ばれ続けているうちに,自分のあるべき姿はドルシネーアなのではないか,理想の貴婦人として生きるべきではないかと思うようになります.言葉の力,名前の力を感じさせる場面でした.
先のテレビ番組では,ドン・キホーテが死んだ後に,女が「私はドルシネーア」と名乗る場面が紹介されていました.ドン・キホーテの夢と理想を彼女が受け継いだということですね.
「なむあみだぶつ」は私が称える名ではありますが,阿弥陀仏からの呼びかけでもあります.また,「なむあみだぶつ」は私の名ではなく,阿弥陀仏の名ではありますが,そう呼びかけるときの願いは,ドン・キホーテが「ドルシネーア」と呼びかけるときと同じです.すなわち,理想的な人間となれ(仏となれ)・・・.そして,「ドルシネーア」と呼びつづけられた女が,その名「ドルシネーア」を自ら名乗るように,私も,呼び続けられた名をそのまま繰り返します.なもあみだぶつ,と.
【補足】
テレビ番組: 「我は勇みて行かん~松本幸四郎“ラ・マンチャの男”に夢を追って」, NHK, 2012.8.24 放送.
御無沙汰しています.気がつけば,一度も更新しないうちに8月が終わろうとしています.特に何かあったというわけではないのですが・・・.お返事をしていないコメントがいくつもありますが,なんだか時期を逸した感じですので,今回は失礼します.そのうちまとめて,なんていったような気がしますが,お許しを.『ラ・マンチャの男』の話はもう一回続けます.