ねんぶつは
言うてもうす《申す》ねんぶつには
あじもなし
ねんぶつ
言われてもうすねんぶつには
ふかきあじの あるなり
(『ご恩うれしや』, p.162)
前回,「ただの念仏」という句を解しかねていると書きましたが,今回の口あいははっきりしていますね.前回の口あいとの関わりで言えば,(2)の解釈に相当する口あいです.
才市さんにはこんな話があります.
或る日,才市が突然に思い出したように言った.
「此の間,近くの○○屋に○○寺さんが見えて,お聴聞がありましてな,私も誘われて参りました.そしたら,○○寺さんがお説教の前に,十分間念仏の相続をしようと言われましてな・・・」
「その時アンタは,どうしたかね」,私には,何か私の近頃の胸にある問題に解答が得られるような気がして,すぐたずねた.
「私も暫く黙って,下にむいて居りましたがな・・・○○寺さんのように,あげえに[
あんなに],よそから念仏をかりて来てまで,悦ばんでもよかろうになー」
(寺本, pp.85--86)
【補足】
寺本:寺本慧達『浅原才市翁を語る』(千代田女学園, 1952).引用中の「○○」,「・・・」は原文のママ.また,太字部分(「かりて来てまで」)は,原文では圏点.[ ]内は引用者補足.