顕彰法要の案内をアップしてみたものの,作文するときの気の張り(?)みたいなものが出てこず,続きが書けませんので,今日は,昔読んだ本の思い出話をタラタラと・・・
子どもの頃に読んだ『キュリー夫人伝』にこんなエピソードがありました.
キュリー夫人がまだ子供だった頃,彼女の祖国ポーランドは列強に分割されていて,彼女が住んでいた地方はロシアの支配を受けていました.学校ではロシア語の授業とロシア皇帝崇拝が強制され,ロシア皇帝の銅像には敬礼することになっていた.ポーランドの人々は表向きはロシアに従いながら,祖国独立への情熱を持ち続けていた.マーニャ(キュリー夫人)たちも,役人が居るところではロシア皇帝の像に敬礼するけれども,裏では雪玉を投げつけていた.
そんな中でロシア皇帝の死が伝えられる.学校では皆,その死を悼むような振りをしていたが内心は,ザマー見ろ・・・.家に帰ると兄弟で喜んで大騒ぎ.それを聞きつけて部屋にやってきた父親が言うのが,表題の言葉です.
『キュリー夫人伝』は何種類か読んでいますが,この話は子供向けに書かれた『キュリー夫人伝』で読んだような気がします.先年,多分この本,というのを病院の待合室でみつけパラパラとめくってみましたが,このエピソードは見つけられませんでした.スケッチ風の白黒の挿絵には見覚えがあったのですが・・・.
因みにエーヴ・キュリー著『キュリー夫人伝』の日本語訳が戦前に出版されたとき,占領下にあった朝鮮では発禁になったそうです(同書訳者あとがき).キュリー夫人の生涯が,科学への情熱と祖国独立への情熱の二つに貫かれていたということが伝わってくる伝記ですので,占領下にある人々に読ませるには極めて不都合な本であることは確かですね.
onsai様,コメントを読んで,突飛かも知れませんが,御同朋御同行という言葉を思い出し,大変ありがたく感じました.
「戦争は皆に連帯感をもたらしたが,私には孤独をもたらした」と日記に書いた人がいるそうです(記憶による引用.ロマン・ロラン?).
私も,戦争が始まれば,孤独を感じる方の人間だろうと思います(先の日本の戦争中,日本にも深い孤独感を感じている人がいらしたようです).そして,時間的にも地理的にも遠く隔たった,書物の中だけに存在する人々の中に同類を見つけて慰めを感じる類の人間ですが,ごく身近に,同じように感じている方がいらっしゃることに気づかされ,本当にありがたく感じました.
ちょっと話は変わりますが,先日,「道徳教育」の研修会に行ってきました.ご講師の先生は,“大雨が降って島根に行けるのかと心配してたが,こんなにいい天気になった.ホント,道徳教育をやってればいいことありますよ”,などと軽く笑わせておいて,分かりやすく軽快に講義をしてくださいました.
そのレジュメの中に,“道徳とは,その社会の成員が自他に期待する行動や規範”というような道徳の定義が引用されていて,続けて,道徳に従って生きることが善く生きることだという意味のことが書かれていました.
その通りなのでしょうが,ただ,“その社会が期待するように生きること=善く生きること”ではないように思えるときがあるわけです.遠くはソクラテス,近くは,「神々の国しまね」という旗を島根県の公務員なら一緒になって振らなきゃいけないの,という問題.でも,そこのところはきわめて軽快に通り過ぎて行かれました.
そんなことでウジウジ悩んでないで目の前の子どもを見よ,最低限の規範意識を育てることが急務であることは明らかではないか・・・ということなのでしょう.
五月晴れ戦後は遠くなりにけり
先日 ビン・ラディン氏が 殺害されたとき、
アメリカ国内の様子の報道に 居たたまれない遣る瀬無さを
感じたことを 思い出しました。
…と エラそうなことを 言いながら、自分の最愛の人が迫害され、
その加害者が死んだ(殺された)とき、やはり 喜んでいる
自分の姿が浮かびます。お恥ずかしや。あさましや。