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[才市] なむあみだぶに 心とられて
旧ブログ 2010年7月 7日 (水)

風はふけども山はいご《動》かぬ
もうねんのかぜはふけども
こころ いごかぬ
なむあみだぶに こころとられて
(『ご恩うれしや』pp.118--119)

 あるご法話で次のような話をお聞きました.

ある村に山伏がやってきて,真宗のお寺の坊さんに行力比べを挑んだ.大きな釜を据させ,お湯がぐらぐら煮立ったところで,印を結び熱湯の中に漬かってみせる.そして,「さあ,次はお前が入ってみろ.入れないなら寺を明け渡せ」.そう言わた坊さま,お安い御用と衣をパッと脱ぎ,固唾を呑んで見守る村人たちに声を掛けた.「桶に水を汲んで来ちゃんさらんか」.その水を釜の中に空けさせ,ちょうど良い湯加減になったところで,ザブン.「ああ,いい湯だ.皆の衆も入らんか」.

 なんといいますか,オチのあまりのアホらしさに一気に脱力.村人と一緒に固唾を呑んで聞いていたのに・・・.でも,最後に脱力してしまうところが,このお話の要と聞かせていただきました.丁寧に見ると,ここはこれこれの喩,こちらはあのことなどと言えそうですが,そんなこと,ゴチャゴチャいうこと自体がなんだか野暮に思えてきます.ここは,一緒にお湯につかって,いい湯だな・・・.

 才市さんの歌の最初の3行は,肩を怒らし,ぐっと踏ん張って「動かぬ」とがんばっているようです.それが,最後の行でふっと肩の力が抜ける.私ががんばらなくても,南無阿弥陀仏がしっかり包み込んでいてくださる,そんな安心感が,「心とられて」という柔らかな終わり方に現れているのではないでしょうか.

【補足】
 当地,温泉津温泉では,毎年,「温泉祭り」が行われています.今年は,今日(7日)ありました.観光客で賑わう催しというより,地元の者の楽しみといった行事です(でも,これが本来の祭りの姿ですね).
 温泉街に屋台などが出るとともに,3つの温泉(旅館の内湯ではない銭湯形式の温泉)では,お勤めと簡単なご法話があり,町内のお寺が宗旨を問わず,手分けして勤めさせていいただいています.当山は,一番近くにある温泉(「才市の湯」と呼ばれています)の担当グループ(?)です.今年が当番でしたので,先ほど,上の話を枕に短いご法話をさせていただきました.もっとも,上のたとえ話のあと,蓮如さんと一休さんの話に行ってしまって,才市さんの歌は出せなかったのですが.

コメント

こんにちは、北海道でも温泉で法話をするところがありましたが、温泉津もそうでしたか。
私たちは 温泉に行くと、湯船につかると思わず
「あ--極楽ごくらく」と言うことがありますが、まさに浄土の教えは
極楽に入る教えですので、湯加減は丁度よいのが 当たり前ですね。
山伏さんしか入れないような湯加減では、だれもついてきません。
お寺を乗っ取っても 信者皆無は必至かと・・・
妄念の風でまだフラフラしどうしであります。

>私たちは 温泉に行くと、湯船につかると思わず
>「あ--極楽ごくらく」と言うことがありますが、まさに浄土の教えは

 そうか,そういう言い方もありましたね.ご法話をする前に聞いておきたかったです(^-^;).確かに,皆の衆も入らんか,と言われて,尻込みするような湯加減では十方衆生とはいえませんね・・・と書いていて,一つ,たとえ話を思いつきました.
“ちょうどいい湯加減の温泉に誘われたのに,火傷するくらい熱い温泉に我慢して入らなきゃ効能はないと勝手に決めつけ,断っていませんか?”
というのは,どうでしょう?

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