風はふけども山はいご《動》かぬ
もうねんのかぜはふけども
こころ いごかぬ
なむあみだぶに こころとられて
(『ご恩うれしや』pp.118--119)
あるご法話で次のような話をお聞きました.
ある村に山伏がやってきて,真宗のお寺の坊さんに行力比べを挑んだ.大きな釜を据させ,お湯がぐらぐら煮立ったところで,印を結び熱湯の中に漬かってみせる.そして,「さあ,次はお前が入ってみろ.入れないなら寺を明け渡せ」.そう言わた坊さま,お安い御用と衣をパッと脱ぎ,固唾を呑んで見守る村人たちに声を掛けた.「桶に水を汲んで来ちゃんさらんか」.その水を釜の中に空けさせ,ちょうど良い湯加減になったところで,ザブン.「ああ,いい湯だ.皆の衆も入らんか」.
なんといいますか,オチのあまりのアホらしさに一気に脱力.村人と一緒に固唾を呑んで聞いていたのに・・・.でも,最後に脱力してしまうところが,このお話の要と聞かせていただきました.丁寧に見ると,ここはこれこれの喩,こちらはあのことなどと言えそうですが,そんなこと,ゴチャゴチャいうこと自体がなんだか野暮に思えてきます.ここは,一緒にお湯につかって,いい湯だな・・・.
才市さんの歌の最初の3行は,肩を怒らし,ぐっと踏ん張って「動かぬ」とがんばっているようです.それが,最後の行でふっと肩の力が抜ける.私ががんばらなくても,南無阿弥陀仏がしっかり包み込んでいてくださる,そんな安心感が,「心とられて」という柔らかな終わり方に現れているのではないでしょうか.
【補足】
当地,温泉津温泉では,毎年,「温泉祭り」が行われています.今年は,今日(7日)ありました.観光客で賑わう催しというより,地元の者の楽しみといった行事です(でも,これが本来の祭りの姿ですね).
温泉街に屋台などが出るとともに,3つの温泉(旅館の内湯ではない銭湯形式の温泉)では,お勤めと簡単なご法話があり,町内のお寺が宗旨を問わず,手分けして勤めさせていいただいています.当山は,一番近くにある温泉(「才市の湯」と呼ばれています)の担当グループ(?)です.今年が当番でしたので,先ほど,上の話を枕に短いご法話をさせていただきました.もっとも,上のたとえ話のあと,蓮如さんと一休さんの話に行ってしまって,才市さんの歌は出せなかったのですが.
こんにちは、北海道でも温泉で法話をするところがありましたが、温泉津もそうでしたか。
私たちは 温泉に行くと、湯船につかると思わず
「あ--極楽ごくらく」と言うことがありますが、まさに浄土の教えは
極楽に入る教えですので、湯加減は丁度よいのが 当たり前ですね。
山伏さんしか入れないような湯加減では、だれもついてきません。
お寺を乗っ取っても 信者皆無は必至かと・・・
妄念の風でまだフラフラしどうしであります。