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[才市] 凡夫が仏になることは(藤実無極先生のご紹介)
旧ブログ 2010年5月27日 (木)

ぼんぶがほとけになることは
ほとけがぼんぶになって
ぼんぶをほとけにすること
なむあみだぶつ
(『ざんぎとかんぎ』p.106)

 今年の才市顕彰法要のご講師である藤実無極先生には,才市さんの歌集『ざんぎとかんぎ』を才市顕彰会から刊行する際,大変お世話になっただけでなく,同書に巻頭法話も頂戴いたしました.そのご法話から,上記の歌をお味わいになっている部分をご紹介します.

 「凡夫が仏になるために、仏さまの方から凡夫になりさがって、仏にするのですよ」と。この表現はよほど聴聞しないと出てこないといえましょう。そうです。仏さまは、西方極楽浄土でじっとしておられるのではありません。仏であるものは仏になるために、私たちの方から願わない先から、頼まない先から、私の方に入りこんで、今度こそは必ずすくうとのご苦労をしておられるのです。
 以前、石川県の栃平ふじさんの法味に出あったことを思い出します。その表現は「法蔵とはどこに修行の場所あるか、みんな私の胸のうち」というものでした。いかがですか。才市さんのうたと栃平ふじさんのうたも味わいは同じといえます。法蔵菩薩はどこで修行されているのだろうと、その場所をたずねてみたら、実は私の胸のうちでした。これもすばらしい味わいといえましょう。法蔵菩薩は必ず阿弥陀仏になられるお方です。その法蔵菩薩が私を仏にせんがために、私の胸のうちでご苦労しておられるというのです。まさに仏が凡夫になって、凡夫を仏にするという才市さんの味わいとぴったりといわねばなりません。だからいつでもどこでも「一人ではありませんよ、私がついていますよ」と、親さま(仏さま)ともどもの毎日であることを味わっていただきたいのです。
(『ざんぎとかんぎ』pp.31--33)

【補足】 才市顕彰会からは次の4書が刊行されています.
1957年, 『浅原才市』,  川上清吉 著
1981年, 『妙好人 石見の才市』, 石見の才市顕彰会編
1981年, 『こ恩うれしや:分類・妙好人・浅原才市のうた』, 石見の才市顕彰会編
1991年, 『ざんぎとかんぎ:浅原才市のうた』, 妙好人石見の才市顕彰会編(『ご恩うれしや』発刊後に発見された2冊のノートに記された約250首の歌を収める)

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