かかさんよい
煩悩が 連ろうて遊んでごせ(一緒に遊んでくれ)言うが
どがあ(どう) しましょうかいな
お 連ろうて遊べよ
どがあ言うて 遊びましょうかいな
念仏申して 連ろうて遊べよ
(『ご恩うれしや』p.114 )
正信偈の「煩悩の林に遊んで・・・」(遊煩悩林現神通)というところにくると,遊ぶという言葉から,「時を得て嵐とあそび」という詩句を思い出してしまいます(ボードレール 堀口大学訳「信天翁」).これは,嵐の中を悠然と飛ぶアホウドリのことで,もちろん正信偈とはまったく関係ありません.でも,自由でのびのびとした感じは似ていると思いませんか(ちょっと苦しい? こういう突拍子もない連想をしてしまうのが悪い癖).
アホウドリは置いといて(でも気の毒な名前ですね),正信偈の「遊ぶ」とは,往生の後は,「楽々と,喜びを持って,しかもこだわることなく」人々を救うという意味だとお聞きしました.普通なら迷ってしまう煩悩の林の中に遊ぶといわれると,単に力強いだけでなく,おおらかでのびやかな感じがします.
才市さんの歌のほうは,ちょっと戸惑っているような,ユーモラスな感じがあります.でも,肩の力が抜けた感じはいっしょですね.