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『アメリカン・スナイパー』と勲章と
旧ブログ 2018年11月25日 (日)

 最近は,才市さんとも仏教とも直接関係のない話がちょこちょこ混じりますが,今回も才市さんや仏教は出てきません.しかも,独り言をダラダラとたれ流しているような記事です.お暇な折にお付き合い下されば幸いです.

 数年前に公開された『アメリカン・スナイパー』という映画をご覧になられたでしょうか.私は見ていないのですが,先年,坊守が娘にせがまれ,いっしょに見に行ったそうです.「重い映画だった」と内容を話してくれましたが,確かに,単純には割りきれない映画のようですね.娘は,「次はディズニーが見たい」と言ったとか.腹にこたえ過ぎたようです.評価が分かれる映画だろうなと思ってネット上の評判を見たところ,やはり評価が割れていました.ただ,その割れ方がちょっと意外な感じでした.

 この映画は,実在のアメリカ軍狙撃兵をモデルにした映画だそうです.そして,彼を,伝説的な英雄として描いた「愛国映画」と称賛する声がある一方で,そのような描き方への批判もある --- ネット上の評判はそんなふうに意見が割れているように見えました.

 しかし,私が話を聞いて評価がわかれるだろうなと思ったのは,別のことでした.つまり,この映画を,「英雄伝説」として受け取るか,そうではなくて,「英雄」の悲惨と矛盾(子供を狙撃する立場に追い込まれたり,除隊後,心を病んだり) を描き,さらに生きることの意味を問う映画として受け取るか,そこのところで評価が分かれるだろうと思ったのです.映画を見ていないので何とも言えないのですが,私の受け取り方がひねくれすぎているのかなぁ・・・.

 この映画の話を聞いて,昔TVで見たある戦争映画を思い出しました.その映画も,第二次世界大戦における,ある実在の伝説的兵士を描いたものらしいのですが,映画の題名もその兵士の名前も忘れました.ともかく,彼が,戦場で死ぬような目に何度も会い,戦友を失い,それこそ,地獄の苦しみと深い悲しみを味わったことがつぶさに描かれていました.そして,彼はそれに耐え抜き,最後は,多くの将兵が居並ぶ前で勲章を授与されて映画は終わります.
 私は,この最後の場面を見て,勲章というのは,なんとまあ,狡猾な制度かと思いました.あれだけひどい目にあわされた代償がペラペラの勲章一つ(いや,実際にはそれなりに重くて,年金なども付くのでしょうけど).それをもったいぶって授与するのは,安全で安楽な執務室から命令を下してきた人物.彼が勲章を授与する際の重々しい態度を醜悪とさえ感じました.泥と血の中でのたうち回る兵士の姿が強く印象に残っただけに.NHKの『映像の世紀』に,ベトナム戦争の武勲で授与された勲章をホワイトハウスの前で焼き捨てたり,投げ返したりする元兵士の姿がありました.この映画のお蔭で,彼らの気持ちがよく分かるような気がしました.

 でも,この映画,英雄伝説を歌い上げる「愛国映画」だったのかもしれないと,ずっとあとになって思い当たりました.最後の勲章授与を,生涯最大の華々しい栄誉,辛酸の苦労に十分報いるものだと感じる人も多いのだろうと.やっぱり私はひねくれているのかぁ・・・.

【補足】
 補足というか,少しおしゃべりを・・・

 勲章と言えば,これも少し前,桑田佳祐氏が勲章を茶化すようなことをしたという話を聞いて,アラビアのロレンスがフランスから勲章をもらった時,その勲章を犬の首輪につけて散歩した(祖国イギリスからの勲章は辞退した)とか,ビートルズがやはり勲章をもらった帰り道,勲章でキャッチボールをしたという伝説を思い出しました.ロレンスやビートルズは一部の顰蹙を買ったでしょうが,でも謝罪したという話は聞いていません.しかし,桑田氏は謝罪に追い込まれたそうです.勲章を茶化すのがいい趣味だとは言いませんが,でも,そんな「悪趣味」が許されないのも,窮屈な感じがします .

 なお,ビートルズが勲章でキャッチボールをしたという伝説は確認できませんでした.私の思い違いかも.ただ,叙勲が決まった時,同じ勲章を受けた一部の軍人が,“あんな不良少年と同じ勲章ならいらない” と勲章を返還する騒ぎがあったそうです.そのとき,ジョン・レノンは,“軍人は,戦争で人を殺して勲章をもらったのだけど,僕らは,多くの人を楽しませて勲章をもらった” と言ったとか.軍人たちは余計に怒ったでしょうね.さらに後,レノンは ,イギリスが,ビアフラ戦争でナイジェリアを,ベトナム戦争でアメリカを支持したことなどを理由に勲章を返還したそうです.

 余談ですが,勲章を授けたり,表彰したりするのは,目上から目下へという感じがしますが,いかがですか.大師号を授けるというのも同じ.大師号を授ける天皇の方が,授けられる僧侶より格上という感じがしてなりません.
 当地では,「報恩講スタンプラリー」と称して,多くのお寺の報恩講にお参りになった門信徒の方に,組長名で表彰状と記念品を差し上げていますが,表彰状と記念品は各寺院でその寺の住職がお渡しします.私も毎年,表彰式(表彰伝達式?) のようなことをするのですが,「代読」とはいえ,年上の方に向かって「表彰状」などと読み上げるのはどうも落ち着かない気分.
 大きな法要などでは,お寺に尽くしてくださった方を「表彰」したりしますが,これも,自分が表彰する立場に立たされたときは,逃げ出したくなりました.「私個人が表彰するのではない,安楽寺住職が表彰するのだ」と自分に言い聞かせてもダメ.結局,「感謝状」ということにさせていただきました.

 そういえば,今の天皇の「ご成婚○○記念日」か何かの記者会見で,"もしお互いに表彰状をだすなら,どのような賞をお出しになりますか" という問いに,皇后(当時は,皇太子妃?)が,"表彰状ではなく感謝状を" とお答えになったように思います.天皇 (皇太子) の方が格上とする考えからでしょう.
 ちなみに,天皇(皇太子)の方は,"努力賞を" とお答えになったように記憶します.これも,奥ゆかしい答ですね.本当はもっと誉めたいのだけど,身内を大っぴらに誉めるのはみっともないという配慮からこういう答になったのだろうと思いました.でも,これは,あまりにも,下々の者の感覚に引き寄せた受け取り方ですか?

 余談の余談ですが,「顕彰」という言葉には,「表彰」と違って,上から下へという感じは受けません.言葉自体の意味としては,「顕」も「表」も,ほとんど同じだと思うのですが・・・.
 実際の使われ方の違いによるのでしょうか.あちこちに建つ「顕彰碑」などは,「わしらの村にも,こがぁに偉い人がおんさったんだけ」って感じです.その偉さに便乗して,自分も偉くなったような気分が漂っていることもありますが,ともかく,偉大な先達を仰ぎ見ている,下から上への視線を感じます.言葉というのは微妙なものですね.

 長い長い妄言にお付き合いくださり,ありがとうございました.

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