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池澤『砂浜に坐り込んだ船』
旧ブログ 2018年9月16日 (日)

 人は昔から,死後の世界について様々な物語を紡いできました.私は死んだらどうなるのか.私はどこから来て,どこへ行くのか.その答を得ようとして.しかし,それ以上に,先立ったものへの思いから死後の世界の物語を求めてきたのではないか・・・.少し前に「虹の橋」という物語(詩?)が話題になりました.これも,先だったもの --- この場合はペットですが --- への思いから生まれた一つの物語でした.前回お話した短篇を含む短篇集,『砂浜に坐り込んだ船』に収められた8篇の物語も,この世を去っていった者への思いから紡がれた物語のように感じられました.「虹の橋」とは趣がずいぶん違いますけど.

 親から子へ,孫へと繋がっていく命の連鎖.18歳であの世への川を渡り,その連鎖から落ちてしまった少女への想い(「上と下に腕を伸ばして鉛直に連なった猿たち」).死んだ友人が語りかけてくる話(「砂浜に坐り込んだ船」).あるいは,この世界から,死という形で立ち去り,中世ペルシアのイスファハーンへと移る男.彼は夢の世界へと去ったのか.いや,この世界こそ仮の世界で,彼は本来の世界に帰って行ったのではないか([「イスファハーンの魔神」).あるいは,また,夢の中で別の世界を夢見て,その中でさらに別の世界を夢見て・・・.そして,夢から覚めてこの世界に戻って来て,この世界に戻ってきたという夢を見ていた眠りから覚めて,さらに,眠りから覚めた夢を見ていた夢からさめて・・・(「夢の中の夢の中の,」).

 「大聖堂」も,死者への深い思いがおのずと祈りとなって,別の世界へと移行してしまった話です.これを読んで思い出したいくつかのこと・・・

 乗っていたバスが炎上し焼け死ぬ.周りでは人々が騒いでいる.だけど,私は,それを眺めている.バスが燃えたとき,こちらの世界に移動したらしい.こちらの世界では何事もなく,私はバスから降りてここにいる.だけど,向うの世界の人々にそれを伝えるすべがない.炎上するバスのなかで黒こげになっていく自分の姿と,それを見て叫ぶ人々をただ見ているだけ・・・.目が覚めたとき,『ユービック』を思い出した.

 あるいは,また,夢と現実のあわいで:ぼんやりと目が覚める.えっと,不治の病にかかって,この病室を出る時は死体になって出ることになるだろうなんて,嫌な夢だったな・・・.いや,夢ではなかったのか・・・.今眼を開くと見えるのは,自宅の板張りの天井ではないのか.病室にいるというのは夢であってほしい・・・そう思いながら恐る恐る目を開ける.だけど,もう目がはっきり覚めていて,何が見えるかは分かっていた.やはり,病室の天井だった・・・.

 あるいは,また:好きな女性と川の土手を歩いていた.彼女は,近々,誰かと結婚するらしい.こうして二人で歩くのもこれが最後だろう・・・.そんなことを思いながら彼女の後姿を見ながら歩く.と,彼女が振り返って言った.「私が他の人と結婚するなんて嘘だよ」.ここで,目が覚めた.夢だったのか・・・.「嘘だよって,抱きしめて言って.会いたい・・・」.

 2011年の東日本大震災は起こっていない,大切な人々は今も平凡な生活を送っている.あれは,嘘だった.大切な人に会いたい・・・祈りとでもいうべきそんな強い思い.そこから「大聖堂」の物語が生まれたのではないでしょうか.

 ところで,あの震災は,天災であると同時に人災でもありました.しかし,あれが人災であったことは忘れ去られがちです(いや,意図的に忘れ去ろうとしている?).それへの怒りが「苦麻の村」だろうと感じました.

【補足】
 池澤夏樹『砂浜に坐り込んだ船』(新潮社, 2015).

 「虹の橋」はたとえばこちらを.

 P.K.ディック, 朝倉久志訳『ユービック』(早川文庫, 1989).

 沢ちひろ作詞「会いたい」
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