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顔ひとつわれに近づく秋のくれ (細川加賀)
旧ブログ 2018年9月12日 (水)

 たまたま,目にした句です.いろいろな状況が想像できます.たとえば,甘やかな状況(「あなた 席を立たないで 息がかかるほど そばにいてほしい・・・」).しかし,作者は肺結核の療養経験があり,さらに,この句は,脳挫傷で死去する直前の作だと言われています.そうだとすれば,この顔は,病床に横たわる作者を,気づかわしそうにのぞき込む家族・友人の顔かもしれません.あるいは,死を予感し,先に死者の国に旅立った人の雰囲気をふと感じる・・・.そんな句のようです.

 少し前,「砂浜に坐り込んだ船」という短篇小説を読みました.語り手の男が,砂浜に坐礁した船の写真を見て誰かを思い出す.誰だろうと考えているうちに,その彼が横にいて,一緒に写真を見ている気配を感じる.死んだ友人だった.「時々は様子を見に来ていたんだよ.きみが気づかなかっただけだ」.そう語りかけてくる死者・・・.この死者との対話・死者への追想を読みながら,こんな情景が心に浮かんでいました.

私がイライラしているとき,先に死んだ恋人(婚約者?)が傍らに立ち,気づかわしそうに私を見ている気配をふと感じる・・・.

 小説の一場面だろうか,何かの詩か歌だろうか・・・思い出せないままでいたら,ある本で,その情景が引用されているのに出会いました.

朝なんぞ、煖炉《だんろ》に一度組み立てた薪がなかなか燃えつかず、しまいに私は焦《じ》れったくなって、それを荒あらしく引っ掻きまわそうとする。そんなときだけ、ふいと自分の傍らに気づかわしそうにしているお前を感じる。--- 私はそれから漸《や》っと気を取りなおして、その薪をあらたに組み変える。

 私が覚えていたのはこの情景でしたが,さらに,こんな一節も引用されていました.

息を切らしながら、思わずヴェランダの床板に腰を下ろしていると、そのとき不意とそんなむしゃくしゃした私に寄り添ってくるお前が感じられた。が、私はそれにも知らん顔をして、ぼんやりと頬杖をついていた。その癖、そういうお前をこれまでになく生き生きと --- まるでお前の手が私の肩にさわっていはしまいかと思われる位、生き生きと感じながら・・・

 堀辰雄『風立ちぬ』でした.

 この小説を読んだのは40年くらい前です.今回読み返して,その文章一つ一つが心に沁みわたる感じがしました.でも,40年前に読んだときにはそうでなかったようです.内容をほとんど忘れていました.同じ頃に読んだ,『ジャン・クリストフ』や『テス』は印象深く覚えているのに.しかし,私にそっと寄り添う死者の感覚だけは忘れていなかった・・・.

 『風立ちぬ』を引用し,それを再読する機会を与えてくれたのは,若松氏の本です.その若松氏の言い方を真似れば,40年前からこの小説は常に私に語りかけ続けていたということになるのでしょう.しかし,私が耳をふさいでいた.そしてやっと今,その声が聞こえ,この小説を味わえるようになった.私が耳をふさいでいても,倦むことなく常に我を呼びつづける声・・・.


【補足】
 顔ひとつ・・・:こちらのテキストをお借りしました.作者の経歴などはWikpediaにありました.

 「砂浜に坐り込んだ船」:池澤夏樹『砂浜に坐り込んだ船』(新潮社, 2015)所収.

 『風立ちぬ』:昔読んだのは文庫本だったような気がしますが,今回は青空文庫のテキストをお借りしました.

 若松氏の本:若松秀輔 『生きる哲学』 (文春文庫, 2016).『風立ちぬ』が引用されていたのは p.123 および p.124です.

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