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「才市は,お前によって天下の知己を得た」
旧ブログ 2014年7月27日 (日)

 表題に掲げた言葉は,謙敬が寺本慧達師に向かっていった言葉だそうです(【補足】参照).「お前」というのは慧達師のことで,才市さんを最初に広く世に紹介したのがこの慧達師です.

 才市さんは無口で口あいを人に見せることもありませんでした.ですから,その深い信心の世界を知る人は,法中を除けば,身近にあまりいなかったようです.“お寺詣りに熱心なお爺さん” くらいには見られていましたが.
 一方,謙敬は才市さんの口あいを毎日のように見ていました.才市さんの信心の喜びの深まっていく様子が手に取るように分かったことでしょう.前回も述べましたように,謙敬は,そんな才市さんを半ば身内のように感じていたと思われます.

 そんな状況を考えると,この謙敬の言葉は,友達付き合いの下手な子供が親友を得たとき,それを喜んだ親が,親友にそれとなく礼を言う言葉(「あんたのおかげで,うちの子もいい友達ができた」)に似ているような気がしますが,これは,あまりに空想が過ぎますか?


【補足】

 私の叔父,梅田謙敬(昭和五十五年亡)の如きも,才市翁が,一生涯お参りした近くの寺の住職であり,本願寺派勧学職にまでなったものでありますが,そんなに推奨しようとはしませんでした.ただ私に「才市は,お前によって天下の知己を得た」と言うぐらいなことをいっていたに過ぎませんでした.
(寺本慧達『浅原才市翁を語る』, 千代田女学園, 1952 , p.121).

 ところで,ここで慧達師は,謙敬が才市さんの素晴らしさを認めていないのが歯がゆい,といった感じの書き方をされています.
 謙敬が才市の素晴らしさを認めていたのは,先にご紹介した謙敬の歌からも明らかでしょう.また,謙敬が才市さんのノートを手元に大切に持っておきたいと思う一方で,紹介のためには手元から離すのも厭わないという矛盾した気持を持っていたことがよくわかる手紙があります(最近,読ませていただいた,ある先生が才市さんについて書かれたもので教えてもらいました.まだ,出版されていないので,詳細は伏せておきます).

 しかし,慧達師の歯がゆいような気持ちは分かるような気がします.
 たとえば,ある作家とか音楽家の作品に触れて深く感動する,熱狂的にその人の作品を追い求める,ところが,周りを見回すと,皆,名前は知っているくせに,そんなに熱狂していない,だれも本当の価値が分かっていないのだ,理解しているのは自分だけだと,もどかしいような,腹立たしいような感を抱く.でも,後になって落ち着いて考えてみると,他の人も,ちゃんとその価値は知っているのだけど,ずっと以前から知っているので,今さら熱狂的に騒いだりはしないだけのことだった・・・こんな経験は誰にもあると思います.特に若い頃は.
 寺本慧達師が才市さんに出会ったころ(慧達師20前後)の文章は,若々しい感動に満ち溢れています.他の人は才市さんの素晴らしさを分かっていない,という書き方も,若き慧達師の感動の大きさを伝えて微笑ましいような感じさえしますがいかがでしょうか.

 因みに,慧達師は才市さんの奥さんについては誤解があったと,次のように書いておられます.

夫と妻との両面で,多少の喰い違いのある事は,むしろあたりまえの事であった.家計をもった経験のない私が,下駄を呉れる才市の態度で,その婆さん[奥さん]を,むしろ因業な婆さんのような印象を持ったのは,全く私の若い見方に過ぎなかった
(寺本, 上掲書, p.109).

おそらく,「家計をもった経験のない」ことに加えて,こんなに素晴らしい才市さんに向かって苦情を言う奥さんは・・・という思いが重なって「因業な婆さん」という印象になったのでしょう(でも,この率直さ,いいですね).

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