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ヒヤシンス
旧ブログ 2013年3月10日 (日)

見ずや君 明日は散りなむ花だにも 命の限り ひと時を咲く
(九条武子)

 子供の頃,子供雑誌の付録についていた(?)ヒヤシンスの球根を水栽培し,花を咲かせたことがあります.それ以来,ほんの時たま,思い出したようにヒヤシンスの水栽培をしています.0305_1
 昨年末,量販店でヒヤシンスの球根をバラ売りしていました.久しぶりに花を咲かせてみようかと,手を伸ばし,ふと,手が止まる・・・.花が咲いても,それを見ることができるかどうかわからない,その頃は,この世にいないことも十分考えられる,水栽培なんかしてもしょうがない・・・.
 いや,そんなことで手を引いてはいけない.それこそ,“死に思想を支配されること”だ,なんて思い返して,自分の背中を押すような気持ちで球根を二つ買い求めました.命の限りひと時を咲く・・・(しかし,まぁ,ヒヤシンスの球根二つを買うのにも,ややこしくて,手間のかかることで ^^;).

 “大きな事業を成し遂げる人は,自分が死ぬとは思っていない”と誰かが言っているのを聞いたことがありますが,その意味がよくわかりました.“どうせ死んでしまうのだから何をしても無駄”なんて思っていては何もできないということですね.
 もちろん,だからと言って,死を忘れて生きるのが望ましいというわけでもありません.“どうせ死ぬのだから”と“自分が死ぬなんてありえない”の両極端を越えた世界があることを教えてくれるのが私たちのみ教えなのでした.

生けらば念仏の功つもり、
死なば浄土に参りなん。
とてもかくてもこの身には、
思いわずろうことぞなき
と思いぬれば、死生共にわずらいなし。
(法然上人)

【補足】
今回の引用は記憶や走り書きのようなメモに依り,確認していませんので,間違いがあるかもしれません.あしからず.

この写真は,階段横の窓際です.この写真を撮ったのはほぼ一週間前ですが,階段を上がるたびに強く香っていました.今はもう盛りをすぎて枯始めています.

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