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肩衣(かたぎぬ)
旧ブログ 2012年4月13日 (金)

 先日,思わぬところで才市さんの肖像画を見かけました.本願寺から出ている750回大遠忌法要関係のリーフレットで,装束について書かれたものです.

 その昔,仏前に座るに際しては,着物の上から肩衣《かたぎぬ》を身につけていました.当時,肩衣の着用は,最高の敬意を表わす正装だったのです.
(「シリーズ大遠忌Ⅰ 装束」)

 ということで,その例として,才市さんも肩衣を着用していることが写真とともに紹介されていたのでした(肩衣をつけている才市さんの絵はこちらをご覧ください).

 才市さんは,法要などだけでなく,日頃の寺参りにも肩衣を着けていたようです.

子供の頃,母に連れられて本堂に出ますと,[才市さんは]毎朝,肩衣をかけて参っておられました.格子のきちんとした着物の上にね.
 家に帰ったら,すぐ仕事着に着かえて「どこに行きなさるの?」って聞かれたら「これから山へ下駄の木を切りに行きます」といってたそうですが,[後略]・・・.
(『才市さんの世界』, p.237)

 ところで,この肩衣ですが,私は才市さんの肖像でしか見たことがありません.また,肩衣を簡略化したものが門徒式章と聞いていましたし,門徒式章は輪袈裟に似ているので,肩衣は仏教の装束だと思ってました.ところが,『夜明け前』を読んでいたら,仏教とは無関係な正装として「肩衣」が何度か出てきて,ありゃりゃ・・・? さらに,裃の上のことも肩衣って言うらしいですね(下は袴).
 何のことやらだんだん分からなくなってきているのですが,あの袖なしみたいな上着が「肩衣」で,袴と組み合わせると「裃」になって武士などの正装,「肩衣」だけで庶民の正装,さらに,肩の部分の広いものとか(裃っていうとこちらを思い浮かべますが),狭いものとか(才市さんが着用しているのはこちら),細かなデザインの違いがいろいろあって,その一つが真宗の正装になっていた(大谷派では今でも?)・・・ってことで,いいですか?

【補足】
 「シリーズ大遠忌Ⅰ 装束」:本願寺仏教音楽・儀礼研究所 監修.このページの真ん中付近からダウンロードできます(pdfファイル).因みに肩衣と門徒式章については,このリーフレットにも次のような説明があります.

    昭和7(1932)年に,その肩衣を簡略化した「式章」が制定されました.それ以降,真宗門徒にとって,式章は仏事の際の正装とされるようになりました.

 『才市さんの世界』:『妙好人・才市さんの世界』(本願寺出版部, 1981)所収の座談会「才市さんを偲ぶ」から,梅田尚子(安楽寺前坊守:当時)の発言.才市さんの肖像が画かれるより少し前,1910年代頃の話だろうと思われます.

 この記事は,4月2日upし,13日を公開日にしました.

コメント


>その一つが真宗の正装になっていた(大谷派では今でも?)・・・ってことで,いいですか?

大谷派のごく一部では生存しています。私の手次寺の安専寺では報恩講の時だけ略式でない肩衣を助音方のみ着用します。裃のようなものです。
門徒式章のことは略肩衣と呼んでます。本願寺派さんのように規格が統一されていなく、寺ごとに作成したりして本山にお参りしても色とりどりですが、帰敬式を受けたときには同朋会運動の紋として使用されている五環紋の入った略肩衣が下付されますので、これだけは統一されています。
以前、新たに別院で帰敬式を受式される方に先輩の門徒として感話をさせていただいたとき、新たにもらわれた略肩衣に住職さんにお願いして
法名を書いてもらって下さい、そして、寺や別院、本山にお参りされる時は
山門をくぐるとき、肩衣の法名を確認して仏弟子としてお参りしましょう。と
伝えさせていただきました。
昔のようにあまり衣服にお金をかけられないとき、普段着の上にこれを掛けて正装とできて有難いものだったようなきがしますね。
ではまた・・・・

 破旬さま,お東の様子を教えてくださり,ありがとうございます(多分,超多忙中だったのでは?).
 そういえば,ご本山(西)の法要でも,裃を見たことがあるような気がしてきました.
 余談ですが,衣を着るときの帯を「石帯《せきたい》」って言いますが,昔の貴族の装束に「石帯」というのがあるようです.学校に放置してあった日本史教材(?)をチラッと見ただけなので詳しいことは分かりませんが,こういう一般常識が欠如したままであれこれ言うのは危なっかしいと自分でも思うのですが・・・.

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