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目と耳とに関する起承転結
旧ブログ 2011年11月22日 (火)

起:ハイブリッドカーの意外な危険性
 ハイブリッドカーが電動モーターで動いているときは,非常に静かだそうです.住宅地の中を走るのには良い事だ,と思ってしまいますが,かえって危ないそうです.歩いている人が車の接近に気づかない.そこで,騒音を発生する装置をわざわざ取り付けるのだとか・・・.

承:目は選択的であり耳は非選択的である
 耳と目を比べると,目の方がずっと選択的ですね.自分が見たいものだけを見る.存在に気づいていない車を見ようなどとは思いませんからから,静かに近づいてくる車は見えません.耳も意外と選択的ですが,でも,目に比べれば選択性は弱い.だから,聞こうと思っていない車の騒音も聞こえて,車の存在に気づくわけです.
 “焦点を合わす”というと,“目的のものだけをしっかり見て余計なものを見ない”という意味になります.一方,耳にはこれに対応する言い方がありません.“耳を澄ます”というと,“何か聞こえないか”,つまり,聞く対象を限定せず,耳に入ってくるものに注意を集中するという意味合いになります.耳の方が選択性が弱いからです.

転:「情報化」の落とし穴
 「情報化」ということについて,どなたかが次のように言っているのを聞いたことがあります.

 情報化とは,自分の必要とする情報を,すばやく能率よく得ることができるということである.しかしこれは,裏を返せば,自分の必要としない情報を能率よく切り捨てるということである.果たしてそれでいいのだろうか.自分が求めていなかった情報との出会いこそ,人の精神を成長させるのではないか.自分の求める情報だけで育まれた精神は,いびつにやせ細ってしまうのではないか.

結の起:精神発達には「聞く」ことが大切
 生まれつき目が見えない場合と,耳が聞こえない場合とでは,耳が聞こえない方が精神発達上のハンディが大きいと聞いたことがあります.その真偽は確認していませんし,その理由についても,注意深い考察が必要でしょう.でも,上の「情報化」の話を思い出して何となく納得しました.

結の承:真宗でも「聞く」ことが大切
 真宗で「聞く」ことが強調される理由の一つは,ここにあるように思えます.「聞く」ことによって,自分が気づきもしなかったみ教えが「聞こえてくる」のです.

結の転:比喩としての「聞く」

 こう考えれば,「聞く」は,比喩的に受け取ることもできそうです.
 「見る」とは,選択的に受容すること,つまり,自分に都合のよいところだけをつまみ食いすることです.世界の中心に不動の「私」がいます.ですから,いくら聞いても,「自分に都合のよいように聞く」のでは,「聞いた」とはいえません.
 逆に,仮に耳が聞こえなくても,み教えを丸ごと受け入れれば,それは「聞いた」と言ってもいいように思います.

結の結:「聞く」とは私の殻が破られること
 自分に都合のよいところ,自分が納得できるところだけをつまみ食いして,今の自分を正当化し,安心する・・・これでは仏法を聞いたとは言えません.都合の良し悪しを脇にどけて,ただ「さようでございました」とうなづき,そうやって「私」の殻が破られていく・・・それが仏法を「聞く」ということではないでしょうか.


【補足】
 転の話(「情報化」)は,どこで読んだのか覚えていません.内容もこの通りだったかどうか? “朝,時計代わりにテレビをつけるというのは意外と大切なことかもしれない.見ようとしないものも見ることになるから”という話もあったように思います.“テレビは見たい番組を選んで見ましょう”とは反対の説で,賛否はともかく,面白い説だと思いました.
 結の起の話(精神発達と聞くことの関係)は,養護学校の教員から聞きました.

コメント

ありゃりゃ,日にちを間違えた.今は火曜日でしたね.明日の深夜(水)に投稿すべき記事でした.次回は土曜の予定です.まだ,ぜんぜん考えていないけど(^^;)

ハイブリッドカーから始まる「起承転結」聞法の道。
とても 興味深く うなづきながら 聞かせて(読ませて)いただきました。

最初 「結の起」とあったときは 「ん?」と思いましたが、
「本」の起承転結と「末」の起承転結があったんですね。

仏願の生起本末を スッキリと聞かせていただきました。
なんまんだぶ。なんまんだぶ。

情報について思うに、近年は情報過多になっているようなきもします。沢山届くわりに、本当に必要なものがどれだけあるか疑問です。
しばらく前に 若い(子供たちも)ひとたちの口癖に「むかつく」というのがありましたが、身体的にむかつくのは 悪いものを食べたときや、食べ過ぎた
ときです、心がむかつくのは 必要のない&悪い情報を受けすぎているのかもしれませんね。
才市さんの法座の前のふれあるきはもちろんいい情報の宅配であります。歓鐘が鳴ってから脱兎のごとく走る姿の話をあちこちで紹介させていただいています。

NSAIさま,破旬さま,こんばんは.お返事遅くなりました.

ONSAIさま.
今回は長くなったので,多少は読みやすくなるかと,起承転結の節に分けてみたのですが,結が長くなり,苦肉の策となりました.“「本」の起承転結と「末」の起承転結”・・・.こう言うとそれらしく聞こえますね(^^;).

破旬さま
おっしゃる通り,「情報化」は,私にとって必要かどうかで情報を切り分けるのではなく,ある人々が知らせたいかどうかで切り分けるという事態になっているような気もします.ある人々が知って欲しいと考えることについては,それこそヘドがでるほど情報が溢れるのに対し,知られては困ることは切り捨てられる.なお悪いことに,怒涛の如く押し寄せる“あんたに必要な情報はこれだ”によって,本当に必要な情報が切り捨てられていることに気づきにくくなっているような気がします.

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