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「我が神,我が神,何ゆえ我を見捨てたもうや」(聖書)
旧ブログ 2011年7月27日 (水)

 十字架上のキリストが叫んだとされる言葉です(マタイ 27:45 他).このキリストの言葉,そしてキリストの道行き(?)が非常に惨めだったことは,“法蔵の修行の場所はみんな私の心のうち”と,どこか通じるものがあるような気がします.“そんな気がする”程度で放ってあるのですが・・・.

 このキリストの言葉に関して,最近,池田晶子氏の次のような言葉に行き会いました.

力ずくで・・・信じようとする人に,大きな躓きの石になるのが,例の「エリ・エリ・ラマ・サバクタニ」であるらしい.十字架上のイエスが叫ぶ絶望の叫び,「我が神,我が神,なぜ私を見捨てたもうか」[である]
(池田, pp.41--42)

 そういえば,“キリスト教ではダメだということが聖書自体に書いてある”と,この言葉を引いて言った人がいました.もうウン十年も前,浄土真宗系を名乗るある学生サークルでのことです.あのサークルも,“他力に到達するまで頑張ろう!”とずいぶん力んでいたように思います.池田氏の言葉を,変な形で例証している感じですが,でも,なぜ力ずくで信じようとするとこの言葉に引っかかるのか.なんとなく分かるようで,まだ,はっきりしません.

 以上2点,なんとなく分かるような気がする程度の話ですが,いかがでしょうか?

【補足】
 池田:池田晶子,『人生は愉快だ』(毎日新聞社, 2008).

 キリストは救世主として失敗したのだ,などと言うサークルもありました.十字架に架けられたのがその証拠と言ってたかどうかは覚えていません.キリスト教系と名乗っていたような気がします.キリストが失敗したと言うならキリスト教ではあるまい,と思ったのですが,どうも,新たに真のキリストが出現していると言いたかったらしい・・・??

 ルイスの「ナルニア国物語」第1話(『魔女とランオン』)で,白いライオン,アスランが殺されますが,これはキリストの受難と復活の再現ですね.ただし,アスランは「我が神,我が神,何故我を見捨てたもうや」とは言いません.代わりに,悲しそうな顔をしていたと記されています.また,惨めな姿にされて侮辱される場面は描かれているものの,実は,侮辱している方が惨めであることがはっきり伝わるような書き方になっています.多分,子供向けということで,誤解されないようにわかりやすくしたのでしょう.

コメント

『我が神,我が神,何ゆえ我を見捨てたもうや』

『これなお師教の恩致なり』
は、教えの深さの違いを感じます。
西洋と東洋の感受性の違いというようなレベルの違いではないように思います。

YGMさん,こんばんは.お久しぶりです.コメントありがとうございました.

親鸞聖人のお言葉で言えば,『教行信証』の序文で,ダイバダッタや阿闍世王を「権化の仁」とおっしゃっていますが,キリスト教徒が「我が神・・・」と絶望の言葉を漏らすキリストを見るまなざしは,これに近いのではないだろうか,という気がします.

因みに「我が神・・・」は,受難が完成(?)されるために是非必要な言葉ですね,多分.某サークルの人は,本当は書きたくなかったのだけど,皆に聞かれてしまったので,削除できなかったのだ,というようなことを言っていましたが,逆でしょう.誰も聞いていなくても,入れなくてはならない言葉のような気がします.

が,まぁ,よくわかりません.あくまで,“感じ”です.他の宗教のことででもあり,それほど本気で考えたわけではありませんし・・・.

こんにちは
台風が通過したお陰ななおでしょうか、暑いといっても耐えられないほどでは無いと感じられる毎年猛暑の愛知です。石見はいかがでしょう?
私もキリスト教のことはよく知りませんが、旅行に出て安ホテルなどに泊まると引き出しに聖書が入っていることに感心します。よく布教に ものみの塔 の方がみえますが、いつも聖書をもたれてさっと付箋がいっぱいついていて手垢によごれたりして、よく勉強されていると頭がさがります。
ある先生が「真宗とキリスト教は言葉を尽くして教えを説く点でよく似ているが、その点で浄土真宗と浄土宗は違っている。」と話されていたことをおもいだします。確かに近くの浄土宗の寺の有り様をみるに、法然上人が現在生きて見えたらなんといわれるのだろう?と思えることが多々ありますね。
そらにしても、読書家の住職を何人も知っていますが、なかなか読書ができない&読んでもすぐ忘れる 私としては羨ましい存在です、junkさんも
その一人であります。

破旬さん,こんにちは.
こちらも,台風通過後はずいぶん涼しくなって一瞬冷害を心配しましたが,その後じりじりと持ち直して,杞憂に終わりました(^ ^;).

ホテルにおいてある聖書,私も一冊もっています.いや,ホテルからくすねてきたのでありませんよ.高校の頃,学校の方に,希望者する生徒にあげるという話が来て,そのときにもらいました.贈呈式のようなものがあって生徒代表がまとめてもらって来たのだったと思います.こういう布教の努力は頭が下がります(もっとも,私の場合は,当時熱中していた翻訳物の推理小説に,聖書からの引用がちょこちょこあったので,その元が見たくてもらったのですが).

このblogでは引用の際にいちいち引用元を示しているので,いっぱい本の名前が出ていますが,実は,見かけほどではありません.それに,大半が学生時代に読んだ本です.最近はあまり読めないし,読んでもすぐ忘れるのはご同様(^ ^;;).
それで思い出した.破旬さんのblogに本のことでコメントを書かせていただこうと思っていました.続きはそちらで.

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