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「花が散るのが無常なら,花が咲くのも無常です」
旧ブログ 2010年10月25日 (月)

 「山川草木悉有仏性」という言葉があります.すべてのものは仏性,つまり仏の性質または仏になる可能性を持っているという意味ですね.以前ご紹介した常不軽菩薩がすべての人を貴賎を問わず礼拝したのも,その人にうちにある仏性を礼拝したのでした.
 では,すべての人が仏性を有するとはどういうことでしょうか(とりあえず人に限定して話を進めます).これについて,おおよそ,次のようなお話を聞かせていただいたことがあります.
 一つの考え方として,“人は本来,仏の性質を持っているが,表面にいろいろな汚れがついてしまっている”という受け取り方があります.だから,修行その他によって表面の汚れを取ってやれば,内なる仏性が輝きだすというのですが,でも,真宗の立場からすれば,これは受け入れがたい.法の鏡に照らし出される私の姿ではありません.
 仮に私のうちに仏の輝きがあるとすれば,それは私の輝きではなく,如来様からたまわったものです.この世界に満ちる阿弥陀如来の光が私の内にも射し込んでいて,それが輝いている.仏性とは,私の内で阿弥陀如来がお働きになっていること.才市さんが「機法一体」とか“阿弥陀とは自分のことである”と言っているのに通じる味わいですね.でも,これは仏教一般には通用しがたいところがあるそうです.
 仏教一般に通じる受け取り方としては,無自性性が仏性であるという説があるそうです.無自性性とは無常であることです.常に変わらない私などなく,私は常に変化し続けている.だから,縁さえもよおせば,何をしでかすか分からない.これは,頼りなく恐ろしいことではありますが,でも,それは無常の半面です.
 冒頭に引用したのはあるお寺のウェッブサイトに掲げられいる言葉です.無常というと,花の散ること思って,悲しい,あわれ,などと言ってしまいますが,でも,無常だからこそ花も咲くのでした.私たちも,無常であるからこそ仏になる可能性がある,これを,無自性仏性説というのだそうです.

 さて,「機」の話はどうなったって言われそうですが,私の,この「ふらふらしている生き物」(コメントより)という面を捉えて,機織機の動く部分,つまり「機」の名を当てたというのが正解でした.

仏教でいう〈機〉とは〈縁〉に遇えば発動する人それぞれの可能性のことである
(大谷大学のこの頁)

だからこそ,南無阿弥陀仏とであうことが大切なのですね.

【補足】
 一応,以上,というところなのですが,実は,この私をなぜ「機」と呼ぶかということについて,まだ少しモヤモヤっとしています.ふらふら動くから「機」を当てたのではなく,別の意味で機という字を当て,後に,「機」の動くという意味によって再解釈したのではないかと思える節もあります.が,とりあえずの中仕切りということで書いてみました.何かありましたら,ご教示ください(というか,これを主題にした論文の一つや二つあるのではないかと思っていますが).

 なお,仏性に関する話はかなり簡略化して書きました.簡略化しすぎて不適切な表現があるかもしれません.

 「あるお寺」なんてよそよそしいですね(^-^).こちらです.

コメント

ん! どこかで読んだゾと思っていましたら やはり同じ自治体内の
寺でしたか。久しぶりにトップぺ-ジだけ覗いてみました。
>アクセルばかり踏み続けている 貴方、たまにはブレ-キ・・・
とコ-ヒ-ブレイクのお誘いをしていただいていますが、最近回生ブレ-キ
なるものが使われるようになり、新幹線からとなりのお婆ちゃん愛用の
電動アシスト自転車まで装備されています。転んでもタダではおきないと言うか、省エネでいいですね!!これを書いていて今年のご正忌報恩講にお参りしたときの事を思い出しました。本派の報恩講の時間の使い方に感心させられたことです。法要と法要の間の荘厳を変えている時間帯に若い女性が出てきて、「今から歌の練習をします」と言われて50年前の大遠忌に作成された、島倉千代子さんの歌った「しんらんさま」の歌唱指導をしたり、ダ-ナ募金のお集め隊が登場したり、とにかく御堂に居てもらえる工夫をされていました。残念ながら我が派は門徒さんを放置しますので、退屈な彼らは門前ショッピングに出かけてしまい、次の座が始まっても戻らず、そのまま団参バスに乗り込む手合いも居る始末。情けないというか何をしに来たのやら???
また愚痴の破旬房が始まりましたので、この辺でストップを掛けときましょう。記事へのコメントは次回に

このブログがjunkと破旬の往復書簡の態をなしていることに
申し訳なく思いますが、私としてはとても有り難い御縁と
なっています。物申せとの蓮如さんの促しにいろいろ書かせて
いただいてますが、受け取りのおかしいところは遠慮なくご指摘
&修正願います。そのためのサンガですもの。onsaiさんにも
もぐらたたきの棒役をしていただいています。放っておくと
ムクムクと字知り顔の頭が持ち上がってきています。
人間総ての人が自前の仏の輝きは持ち合わせていないこと、
助かりようの無い存在と気付くこと無しには救われませんね。
南無阿弥陀仏 とは 無条件降伏ということでしょうが、僅かながら
条件付の降伏しか出来ない私です。
米沢英雄さんが話をされて、それを聞かれた方から
「あんたの話を聞くと 痛い!」といわれたそうです。
SでもMでもないのに、痛い話を語り 喜んでいたい話を聞く
変な宗教ですね 真宗は
機について話される方が最近少なくなりましたね。
明如来本誓応機
を和訳正信偈で
弥陀の誓いの 正機(めあて)をば
われらにありと あかします
の部分が私は大好きです!!!

こんばんは.
 続けてのコメントありがとうございます.ここ数日,他のことに時間をとられて,お返事が遅れました.いろいろ書きたいのですが,また後ほど.今日は,先ほどアップした次回の記事をお返事代わりにということで失礼します.
 ただ,破旬さんのコメント,掛け値なしでありがたく思っていますとだけ,大声で叫んでおきます(^-^).

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