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破邪顕正と破闇顕真
旧ブログ 2010年6月23日 (水)

 話そのものは良く覚えているのに,誰から聞いたか,何の本で読んだか覚えていないということはよくありますね.特に本で読んだ場合に多いような気がします.
 先に引用した,『拝まないものもおがまれている』を読み直していて,「あ,この話はここで読んだのか」というところがいくつもありました.「『破邪顕正』と『破闇顕真』」と題する文もその一つでした.

 東井氏が,ある法会に講師としてでられたとき,「南無妙法蓮華経と南無阿弥陀仏はどこかちがうのですか」という質問が出たそうです.そのとき,同じく講師として出席されていた,「お念仏のお医者さまであられる医学博士の米沢英雄先生」のお答えは:

 米沢先生はおっしゃいました.
 「いろいろ,むずかしいおいわれがあって,簡単にお答えすることはできないわけですが,あえて申しますと,
 『南無妙法蓮華経』は『破邪顕正』つまり,悪をやっつけて正義をあきらかにする,ということになりましょう.今の時代のように,何もかも無茶苦茶の時代では,たいへん多くの人々が『破邪顕正』に期待しているのではないかと思います.ところが,これは,そう簡単にできるものではないのです.
 ところが,
『南無阿弥陀仏』は,他の『邪』をやっつけることのできる資格のある私ではなかったと,うっかりしていると邪見・驕慢に高あがりしてしまっている私の『闇』を破っていただき,私の『真実の姿』に目覚めさせてくださるのです」
と.
 聞かせていただきながら,私を包んでいた闇,迷妄がパッと一気に破られるのを感じました.
(同書,pp.143--144)

 この後,東井師ご自身の経験 --- 二人の校長先生の話と一人の生徒の話 --- が続き,最後に,米沢師のお話を「破闇顕真」(p.154)と要約されています.

 「破邪顕正」と「破闇顕真」.言葉としては似ているのですが,味わいはずいぶん違いますね.

【補足】
東井義雄『拝まないものもおがまれている』光雲社, 1986.

 以下,私的なことをボソボソと:「破邪顕正」という言葉は私にとって,“今となってみれば,あれも懐かしい思い出の一つ”といった類の言葉です.ずっと以前のことですが,この「破邪顕正」と「信心決定」という二つの言葉に悩まされていた時期がありました.悩み苦しんだというほどのことでもなかったのですが,ただ,この二つの言葉にいつも追われているような感じがしていました.でも,寺に帰って,ご門徒さんと一緒にお聖教を読み,「ああ,そうだったのか」ということ--- 前回引用した源信和尚のお言葉を『往生要集』に戻って確認したときもその一つ --- を繰り返しているうちに,いつの間にか,「破邪顕正」や「信心決定」に追われているような圧迫感は消えていました.
 もう昔の話です.実は,“話だけ覚えていた”のは,東井師ご自身の経験の部分で,上に引用した米沢師の話は綺麗さっぱり忘れていました.この本を読んだ頃には,「破邪顕正」は“解決済み”だったのでしょう.
 でも,「破邪顕正」って法華経系の言葉だったのですか? 上の文章からは断定はできませんが,真宗では,最初から気にする必要はない言葉だったのでしょうか? そうだとしたら,いまさらながら,あ~~あ,です.まぁ,もう,どうでもいいけど.
 一方「信心決定」はどうでもよくはありません.でも,「信心決定しなければ」と力んで苦しむのは,星野さんのあの詩を借りれば,「いのちが一番大切だと思っていたころ/生きるのが苦しかった」状態ですね(星野さんの詩については,2009.12.27付け記事もご覧ください).

コメント

初コメさせいただきます!

いやはや、読み応えのある記事が次から次へ 汲めども尽きぬ泉のごとく…。
いつのまにやら、引き込まれるように拝読させていただいてました。

でも、それをこっそり 続けていらっしゃるところが、いかにも
junk らしい…。
で、僕もついつい こっそり 拝見しておりましたが、もぉ~
黙ってられずに ついに初コメと相成ったしだいであります。(~_~;)

これからも 楽しみに しております。こっそりと…。

onsaiさんこんにちは
地球の裏の人とも瞬時に更新できる webを通じて、大声を出せば
聞こえる距離のお二人が交流をされるとは 不思議な世界ですね、
まあもっとも、同じ家庭内で携帯電話で話している人もいますから
さほど珍しくもないかな?

米沢英雄 さんと 東井義雄さん このお二人は
「既に亡くなった方で 逢いたい人は?」
と問われれば、ベスト5に入る方々であります、私には・・・

米沢先生の解釈は いつもユニ‐クというか、唸りますね。
先生をご縁に、福井市内の本派の寺の坊守さんと親しく
お付き合いさせていただいています。もっともお顔も知りませんし
声も聞いたことがありません。webでのお付き合いですが、
なぜか古くからの友人であるかのような気がします。
人が他の人との出会いをさせてくれますね。亡き人でも・・・

ONSAIさま,釈破旬さま,こんばんは.

ONSAIさま
 ありゃま,バレてましたか(^-^;).もっとも,以前,R寺さまの大会が図らずも,‘blog 4元中継’になったとき,ヤバイとは思ったのですが.でも,いいもん.私も,「JIIN’S ブログ」,こっそり覗いてるから(^-^).
 このblog,半分以上は,自分自身の覚書のつもりで始めました.ところが,コメントをいただけるようになり,それによっていろいろ気づかされることが多くなりました.最近は,お題選びがコメント依存症に陥っております.こんなことになるとは思っていなかった.うれしい誤算です.
 才市さんの歌を読んでいると,本当に,「汲めども尽きぬ泉」という感じがします.熟読したはずの『ご恩うれしや』でさえ,読み返すたびに,あっと思うところがあります.

釈破旬さま
 私が昼間勤めに出ている関係で,ONSAIさんとの距離は,意外に遠いのです(いつも,ご迷惑をおかけしております>ONSAIさん).
 それにしても,米沢英雄師ともご縁がおありなのですね.熱心なご聴聞の賜物! 私は反省(ハンセイだけならサルでもできるって言葉が頭をよぎる.これってメイ言ですね ^-^;;;).
 >人が他の人との出会いをさせてくれますね。亡き人でも・・・
これで,また,次のお題が決まりそうな予感・・・.

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