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サソリとカエルとフォン・エブレナクと
旧ブログ 2017年2月 4日 (土)

 前回の,サソリとカエルの寓話について,

サソリは,いくら善良でもその本性は変えられない.だから,善良なサソリでも信用するな.近づくとひどい目にあう.

という解釈があるそうです.これを聞いて,高校の国語教科書に載っていた「海の沈黙」のことを思いだしました.

 この小説は,ナチスドイツ占領下のフランスが舞台で,題名の「沈黙」とは,占領軍に沈黙で応えるというレジスタンス運動のことだそうです.この小説の中心人物は,良心的で誠実なドイツ軍将校エブレナク.教養豊かでフランス文化に憧れる彼は,ドイツによるフランスの占領を,不幸なことではあるが,両国の文化の融合という理想を実現するにはまたとない好機でもあると考えてフランスにやってきました.しかし,やがて,占領政策の真の目的を知らされ,ドイツとフランスの文化の融合という夢を同僚から嘲笑・否定されます.ドイツ占領の目的は,フランス文化を滅ぼし,フランスを収奪することだと.絶望したエブレナクは,「これからはえる麦が死体で育つことになる」東部戦線へと自ら志願し去って行く・・・という話です.
 この小説の最後の方,話が暗転する所に『オセロー』からの引用があります.

この光を消そう.やがて/あのいのちの光を消すために.

この引用はどいう意味か.授業での説明はこうでした.

「この光」とは良心的なドイツ将校へエブレナクへの親近感であり,「あのいのちの光」とはドイツ精神,ナチスである.エブレナクは誠実で良心的な人間であるかもしれないが,それを許容することはやがてはナチスを許容することにつながる.だから,ナチスを倒すために,エブレナクへの親愛の情を棄てなければならない,彼個人がいかに誠実な人物であるとしても.そういう作者の心情を表わす引用である.

つまり,サソリはサソリ,いくら良心的であっても近づくな,叩き潰せ,というわけです.
 しかし,私はこの解釈に,納得できませんでした.そこで考えた理屈は:

オセローがこのセリフを語るのは,デズデモーナ(あのいのちの光)を殺すという絶望的な決断を下したときである.だからこの引用は,この後、エブレナクが絶望的な決断を下すという展開を暗示している.さらに,『オセロー』では,デズデモーナを殺したのは誤りだったことが後に判明する.同様に,エブレナクが死地に赴くという結末は否定的に描かれたものであるという作者の意図を示唆する引用である.

 もっとも,当時は,自分でも何を言いたいかはっきりせず,授業でもモゴモゴ言うだけに終わってしまいました.その後,大学に入ってから,たまたま,手にした文庫本で,渡辺一夫氏の「『海の沈黙』について」に出会い,そこに私が言いたかったことがもっと明確に,広い視野から述べられているのを読みました.

 ・・・私と姪の沈黙は,勿論,侵入軍の軍人に対する一般的な憎悪から始まっていましても,・・・[最後には]今までの沈黙を破り,「さよなら」と一言言うのです.この一言には,フォン・エブレナクに対する親愛が深くこめられていると同時に,彼を死地に赴かせる非人間的なもの・・・に対する強い憎悪[が込められています]・・・.
 ・・・味方にしてしかるべき人物[エブレナク]を死に追いやったものに対するレジスタンスが,『海の沈黙』に秘められてると思いますし,それがなによりも一番大切なことではないかとも考えます・・・.
(『寛容について』, pp.158--159,160)

 ずっと後になって,授業での解釈は,レジスタンス文学としてこれを書いた作者の意図に沿ったものらしいということを知りました.しかし,そこで示唆されている作者の意図は,小説を書き進めている間に変わったのではないかと感じています.「ドン・キホーテ」や「アリス」と同じように,登場人物に対する作者の態度が当初と変わってしまい,そして,そのことによって普遍的な小説へと昇華された一例ではないか,そんなふうに考えています.

【補足】
 「海の沈黙」(ベルコール,河野与一 訳)が載っていた教科書:『現代国語 3』(筑摩書房, 1973).

 渡辺一夫の「『海の沈黙』について(1950)」:学生のとき見た文庫本は『僕の手帳』(講談社学術文庫, 1977)ですが,今,この本が行方不明なので.今回は『寛容について』(筑摩叢書, 1976)から引用しました.この文庫本を読んだことがきっかけで渡辺一夫氏のものをいろいろ読むようになり,とうとう著作集まで買ってしまいました.渡辺一夫氏と引き合わせてくれたたという点でも,「海の沈黙」を教科書で読めたことは幸せでした.

 作者の意図について:H.R.ロットマン(天野恒雄 訳)『セーヌ左岸』(みすず書房, 1985), pp.229--230.なお,ロットマンには粗筋の紹介がありますが,作者の最初の意図に引きずられているように見えますので,粗筋末尾の部分を補っておきます.

頑なに沈黙を貫いてきた娘が,最後の最後になって,エブレナクの別れの言葉に「ごきげんよう」と応える.それを聞いて,エブレナクは「ほおえんだ.それで,あの人の最後のイメージは,ほおえんでいるイメージになった」.そして,あの人が死地へと旅立った朝は「光の薄い太陽が照っていた.たいそう寒いという気がした.」

 『海の沈黙』は映画になっているようです.知りませんでした.

 個人的な思い出.この小説のことを印象深く覚えているのは、小説自体に感動したこと,渡辺一夫へと導いてくれたことの他,もうひとつあります.この授業の後,国語のテストがあり,上のオセロ-からの引用の意味を問う問題が出ました.どう答えようか迷いましたが,授業での解釈に従った答えを書きました.数日後,テストが返えってきて,そこはもちろんマル.でも,答合わせの解説の時,授業での解釈に続けて,私が授業中に主張した解釈でもよい,と言われたのです.授業中の異論も採用してくれた先生の懐の深さに対し,テストの数点の欲しさに節を曲げた自分がひどく小さく惨めに思えました.

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