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「何の故の書物ぞや」
旧ブログ 2016年10月18日 (火)

この木陰に静寂あり
わが手の内に盃あり
そして,わが傍らで君歌うとき
何の故の書物ぞや
(詠人知らず)

 上の言葉,『ルバイアート』中の歌だろうと思っていたのですが,探してみたら見当たりません.似たような歌はいくつかあるのですが.たとえば:

(37)
幼い頃には師について学んだもの,
長じては自ら学識を誇ったもの.
だが今にして胸に宿る辞世の言葉は ---
水のごとくも来たり,風のごとくも去る身よ!

(98)
一壺の紅《あけ》の酒,一巻の歌さえあれば,
それにただ命をつなぐ糧《かて》さえあれば,
君とともにたとえ荒屋《あばらや》に住まおうとも,
心は王侯《スルタン》の栄華にまさるたのしさ!
(以上,『ルバイアート』)

 二つをまとめると似た感じにはなるのですが・・・.『ルバイアート』でなければどこで見たのだろうかとあちこち探していて,昔のノートに次の言葉を見つけました.

我が内に汝の心あり
また,我がまわりにかくも多くの星と花と鳥あるとき
何の故の書物ぞや
(アッシジの聖者)

 う~~ん,「汝」というのが聖キアラのことなら,私の記憶にある歌に近いのですが(?),この「汝」とは多分神ですね.

 静寂と恋人の組み合わせなら,次のような詩句がありました.

恋人よ
思いみよ かの国を
二人して住む 楽しさ
かしこにて のどかに愛し
愛して死なん
かしこには秩序と美と
豪奢と静寂と悦びと
(ボードレール)

 というわけで,冒頭に掲げた歌(?)はいまのところ詠人知らずです.それがどうした,そもそも何の話だって言われそうですが,当ブログの今後に関する言い訳(?)にこの歌を持ってきたかったのです.

 積極的無視を決め込んでいたブログを発作的に初めて6年ちょっと.半ダース,という言い方は変ですが,十二支の半分が終わった勘定です.
 今後は,才市さんの口あいを中心としながらも,もっと気軽に,心にうかぶよしなしごとをたらたらと書き流したり,調べごとのメモという感じで続けたいと思います(今までも,よしなしごとをたらたら書き流していたではないかという突っ込みは却下します^^;).

 で,私が心にうかぶよしなしごとをたらたらと書き流すと,本の話ばかりになるのは目に見えているので(今までも本の話ばかりではなかったか,という突っ込みは再び却下^^;;),「何の故の書物ぞや」という感覚も忘れないようにします,という決意表明(??)に冒頭の句を持って来たかったのですが,それを言うのに本からの引用ばかりというのが病膏肓って感じです.

【補足】
 『ルバイアート』は岩波文庫で読みました.今回は青空文庫所収のテキスト(小川亮作訳.底本は岩波文庫)をお借りしました.

 アッシジの聖者:桑原 武『私の読書遍歴』(潮出版, 1978), p.12 から孫引き.ただし,この本は手元になく,ノートを見て書きましたので,不正確な引用になっているかもしれません.

 ボードレールは「旅へのいざない」(『悪の華』所収)の一節です.遠藤周作『女の一生 二部』で,何度も繰り返して引用されています.戦時下,最後には特攻を志願する青年が恋人に聞かせるという形で.今回も,『女の一生 二部』(新潮文庫, 1986, p.348)から孫引きしました.「かしこには秩序と美と/豪奢と静寂と悦びと」はこの詩の中で何度か繰り返されている詩句です.あの狂気の時代において,「秩序と美と,豪奢と静寂と悦び」の世界を求める願いは,今日からは想像もつかないほど,切実で激しかったのでしょう.

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