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「私を拝むとはもってのほか」(蓮如上人)
旧ブログ 2014年3月25日 (火)

 蓮如上人というと,一分の隙もない“官僚の作文”みたいな文章を書く堅苦しい上人様で,いつも裃を着て,口をへの字にしてこちらをにらみつけている・・・そんな感じがして苦手でしたが,どうも,そうでもないようです.こんな文を読みました.

 皆が行くからと,いっしょにやって来て,私を拝んでどうすんの.私の力で助けるなんて言った? 私を拝むくらいなら,山野の墓原にいって五輪卒都婆を拝んだほうがよっぽどマシ.きっと,ご利益あるよ.卒都婆を一見すれば三悪道を離れるとお経にも書いてあるしね.
 まったくもって,信心もなく,私に向かって手を合わせるなんぞ,もってのほか.実に嘆かわしい.私は尊い姿なんぞはしておらんぞ.朝夕は,でれっと寝ておるし,不浄きわまりない.そんな皺だらけのこの身を拝むなんぞ,まったく見ちゃおれん.
 信心のないものは,今後,卒都婆を拝め.わかったか.
(『真宗史料集成 2』.かなり思い切って意訳・省略しました)

 「卒塔婆を拝め」とは,これまた,キョーレツですね(いうまでもなく,反語です).

 ちょっと極端な意訳を出しましたので,これに関連した御文章のお言葉をそのまま掲げておきます.

・・・善知識といふは、阿弥陀仏に帰命せよといへるつかひなり。宿善開発して善知識にあはずは、往生はかなふべからざるなり。しかれども帰するところの弥陀をすてて、ただ善知識ばかりを本とすべきこと、おほきなるあやまりなり・・・
(『御文書』二帖の11)

 これは,また,簡にして要を得ているというか,善智識の大切なこともきちんと押さえながら,誤解されようの無い書き方をされてます.“官僚の作文”なんて言った奴はどこのどいつだ(^-^;).

【補足】
 『真宗史料集成 2』: 堅田 修 編,『真宗史料集成 2: 蓮如とその教団』,同朋舎出版, 1983, pp.185--186 所収の書簡から要旨.
 『御文章』からの引用は『真宗聖典 注釈版』pp.1126--1127.

 実は,蓮如上人の印象が変わったのは,上の帖外御文章を読む前,ご門徒の方々と『御一代記聞書』を読んだときでした.『御一代記聞書』は本願寺から現代語訳もでていますので,私のように蓮如上人は堅苦しくて苦手という方がいらっしゃいましたら,ぜひご一読を.毎日のお勤めのあとにこれを拝読しているというコメントを頂いたこともありました.

コメント

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