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ソクラテスはなぜ死んだか
旧ブログ 2012年5月 3日 (木)

人類は三つの偉大な死を持っている.ソクラテスの死,イエス・キリストの死,そして,お釈迦様の死である.人類の文化は,この三つの死から始まった.
(ある和上様)

ソクラテスの順法精神はよき市民・国民の手本って言われるけど・・・
 “ソクラテスの死”にどんな印象を持っていますか?
 彼については,順法精神の権化みたいな言い方をされることがあります.“規則を守るか守らないか,皆が勝手に決めていたら規則の意味はない.社会はめちゃくちゃになってしまう.ソクラテスを見よ.死刑判決は明らかに不当だったが,それでも彼は従容と死に赴いた.悪法も法なり.規則がある限りは,規則を守れ”と.

そう思って「ソクラテスの弁明」を読むと戸惑うよ
 私も中学生の頃,そんな話を聞いて,ソクラテスというのはクソ真面目で融通の効かない,保守的な頑固爺という印象を持ってしまいました.そんな思い込みを持って「ソクラテスの弁明」や,同じ文庫本に併収されていた「エウチュプロン」を読んだものですから,ずいぶん戸惑ってしまいました.

だって,有罪判決を受けて「私にご馳走しろ」なんてソクラテスは言ってる
 たとえば,有罪判決後にソクラテスが自己申請した“刑罰”の件.
 当時の裁判は,市民による,今で言えば陪審員裁判でしたが(ただし,陪審員の数は数百人!),有罪の判決を受けた被告は,適当と思われる刑罰を自己申告することになっていたようです.この自己申告した刑罰と,告発者(検事役)が求刑した刑罰のうちどちらかが陪審員から申し渡されるわけで,どの程度の刑罰なら受け入れられるか,ここでいろいろ状況判断やら駆け引きやらがあったことは想像に難くありません.
 ソクラテスの場合は,告発者の求めた死刑に対し,国外追放なら受け入れられそうな状況だったようです(それどころか,国外追放で決着がつくだろうという見込みで裁判日程が決められた可能性があるそうです).そして,ソクラテス自身もそれは承知していました.そのような状況下でソクラテスは何と言ったか.これがなんとまぁ何と,自分にご馳走を出せ,と言ったのですね.
 “自分はアテナイ市民に対して何も悪いことはしていない.自分がしたことはむしろよいことであった.したがって,アテナイが自分に対して何かをするというのなら,感謝の意を表わすべきである.だから,迎賓館でご馳走してもらうのが適当である・・・.でも,それはそれとして,罰金ならいくら払えるか答えよと言うのなら,銀1ムナくらいかなぁ・・・あ,プラトンなどの友人が,銀30ムナの罰金と言え,金の方は何とかする,と言ってるから,そういうことにしておこうか・・・”.

本気なのか,きつい冗談なのか
 いかがですか.陪審員の心証を害すれば死刑,おとなしく国外追放と言えばそれで決着という状況下でこんなこと言うのがソクラテスです.アテイナ市民をオチョクッてるのかい?ってとこですね.真面目過ぎて直球しか投げられなかったのでしょうか.それとも,この直球が究極の変化球だったのでしょうか.というのも,アテナイ市民はこの直球を打ち返してソクラテスを死刑に処したのですが,結果は大凡打.以後2,000年以上にわたって衆愚政治の見本としてあげつらわれることになったわけですから.
 ソクラテスの死を順法精神の発露,などというたびに,あの世でソクラテスは意地悪くほくそ笑んでいるという意見があります.オレが2千年以上前に仕掛けた冗談に,また一人引っかかった,と.そうかも知れないと思わせるところがソクラテスにはあります.

ちょっと違う意味で「エウチュプロン」にも戸惑う・・・
 「エウチュプロン」というのは,ソクラテスの登場する対話篇の一つですが,これも,ソクラテスを順法精神に富んだ保守的な頑固爺と思って読むとかなり戸惑わされます.でも,その話は置いときましょう.
 また,脱獄の勧めを拒む議論が展開される「クリトン」は,まさに「悪法も法」と主張しているように読めるのですが,しかし,“なるほど,これが,ソクラテス,あなたの考えですね”と言うには,何か不安を覚えるようなところがあります.でも,これについても今回は置いときましょう.

とどのつまり,ソクラテスは意地悪婆さんだ

 長くなりました.そろそろ切りをつけましょう.
 ソクラテスは自分を産婆に喩えていますが,この産婆さん,相当の意地悪婆さんです.昔,昔,青島幸雄の演じる意地悪婆さんというのがいましたが,あんな感じ.そう思って対話篇を読むと,戸惑うことなく楽しめます.“オレが正義だ”,“私は真理を究めた”なんてシャチホコばっている人をオチョくって慌てさせる.正面から突っ込むのではなく,ボケをかまして相手をあきれさせながら自滅に追い込む.そんな軽いフットワークと狸爺振りとを楽しむのが正解と勝手に思っています(ま,対話篇にもいろいろありますけど).

だけど,すごく真面目
 でも,ソクラテスは正義や真理の存在を否定しているのではありません.むしろ,「善く生きる」ことだけをひたすら追求したのがソクラテスでした.
 ただし,ソクラテスは,人は究極的な真理に到達しえない,真理は人の限界を超えたところにあると考えていたような気がします.でも,“だから真理の追究を断念する”のではなく,“だからこそ,真理を追究には果てがない”というのがソクラテスの立場だったように思えます.彼が狸爺を演じたのも,そのあたりと関係があるのではないでしょうか.

だから,真理探究の断念より死を選んだ
 ソクラテスが国外追放・脱獄を拒み,死刑を受け入れたのも,この立場からでした.彼にとって,国外追放を受け入れることは,善く生きることの追求を放棄することでした.愛するアテナイに暮らし,アテナイ市民と対話を繰り返し,ともに真理に向かってどきまでも歩む・・・ソクラテスにとって,それが「善く生きる」ことを追求する具体的な姿でした.
 国外追放や脱獄は,そのような生き方を不可能にします.「善く生きる」ことの断念か,それとも死刑か.この二者選択を突きつけられたとき,ソクラテスは迷わず,「善く生きる」ことの断念を拒否したのでした.

これが,エケクラテス,われわれの友なるひとであり,われわれの知りえたかぎりにおいて,まさに当代随一のひとともいうべく,わけても,その知慧と,正義において,他に比類を絶したひとの,最期であったのです.
(パイドン)

合掌してかれを礼拝せよ.げに・・・百劫にも会うこと難し
(ブッダ最後の旅)

 ソクラテスの死について私の現在の考えを書いてみました.これが唯一の正しい解釈だ,などという気は毛頭ありません.ただ,「ソクラテスの弁明」 をきちんと読めば,ソクラテスの死を順法精神の発露なんて軽々しくいえないことは確かです.仮にそう言うにしても,そのためには相当な議論が必要になると 思います.そういう手続きなしで,ソクラテスの死を順法精神の例として引く人を私は信用しない,というのは言いすぎですか?

 以上,憲法記念日に寄せて.妄言多謝.

【補足】
 ある和上さま:浄土真宗のよく知られた和上様の言葉です.耳でしか聞いていないので,お名前をあげるのは控えます.

 パイドン:『プラトン全集 1』岩波, 1980, p.394 (松永 雄二 訳).

 ブッダ最後の旅:中村 元 訳『ブッダ最後の旅』岩波文庫, 1981, p.181.

 なお,ソクラテスの死を考えるにあたって,次の三つから多くを教えられました.

 1) 『ギリシア・ローマ古典文学案内』(岩波文庫の別冊).本が手元にないので記憶で書いていますが,この中に,自らをうるさいアブに喩えたソクラテスと,厳格な身分社会を主張したプラトンとの関係を,ドストエフスキーの『白痴』中で語られる,キリストと大審問官の話で説明している部分があったように思います.ソクラテスがなぜ自分をアブといったのか(そして,なぜ一部のアテナイ市民の憎しみを買ったのか),その弟子であるはずのプラトンがどうしてあんな身分社会を主張したのか,なんとなくわかったような気がしました.

不正や違法が国家社会のうちに行われるのを妨げようとしするものは,大多数の人たちに反対することになり,身を全うすることはできないでしょう.本当に正義のために戦おうとする者は,私人でなければ身を全うできません.
(「ソクラテスの弁明」.前掲『全集1』, pp.88--89, 田中美知太郎 訳 より要約).

 ソクラテスは結局,私人でありながら身を全うできず,それを見たプラトンは,公人として行動しながら身を全うできる社会としてあのような身分社会を構想したのでした.

 2) ダグラス・ラミス『影の学問・窓の学問』(晶文社, 1982).これも本が手元にないので記憶違いがあるかもしれませんが,この中で,ソクラテスの死が論じられていたように思います.ソクラテスは順法精神の権化で立派だった,それを死刑にしたアテナイ市民はアホだというお気楽な主張に対し,ソクラテスの死刑は正当だったという主張があるそうです.そういう人はソクラテスにずっと真面目に向き合っていると一応の評価が与えられているのが印象的でした.もちろん,ラミスは,死刑を正当といっているわけではありません.そして,ソクラテスの死は,2000年以上たっても未だ活力を失わない強烈な皮肉であるというような議論がされていたように思います.

 3) 加来《かく》 彰俊『ソクラテスはなぜ死んだのか』(岩波, 2004).「序章」,「告訴」,「裁判」,「牢獄」,「結び」の章からなり,大本の資料になるプラトンとクセノポンの記述,後世のさまざまな評価のほか,当時の政治状況についても論じられています.“プラトンはソクラテスに自分の哲学を語らせているが,クセノポンは歴史上のソクラテスの姿を活き活きと画いている”という話を大昔に聞いて,そう信じていましたが,そのような評価はヘーゲルから始まったもので,必ずしも正しいとはいえないそうです.

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