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「行ってその稲の束を負い」(パドマ展のご紹介)
旧ブログ 2011年6月18日 (土)

 先日から何回かに渡ってご紹介している

「生死を超える物語 仏教死生観デジタルアーカイブ研究閲覧システム」展
(龍大のパドマ展)

ですが,「東日本大震災・復興ボランティア活動報告」の展示もあります.図録の方には,「特集」という形で,もっと詳しい報告があり,非常に感銘を受けました.展示会に行かれた折は,ぜひ図録の方の報告もお読みになることをお勧めします.この報告から最初の方を引用します.

[宮沢賢治「雨ニモマケズ」]の中にある「行ッテ」という言葉は,賢治がもっとも大切にしていた言葉である.「行ッテ」とは,からだがおもむく時に,心も寄り添うことを意味している.「行ッテ」は,一方的な自己犠牲ではない.苦しい相手の所に私がおもむく時には,相手も待っていてくれる.自己と相手との想いが重なってくる.それが「行ッテ」の心である.相手の幸せを自己の幸せとして感得する,自利利他の精神をそこにみることができるだろう.この賢治の「行ッテ」という言葉が私をつき動かし,被災地を訪ねた.
(『図録』, p.74)

【補足】
 図録:鍋島,田畑,内藤 他 編『龍大バドマ 2011年度 前期 生死を超える物語』(龍谷大学 人間・科学・宗教オープン・リサーチ・センター, 2011).
この図録の59頁~81頁がボランティア報告に当てられています.
引用したのは,鍋島直樹「東日本大震災の岩手・宮城・福島を訪ねて 第二回 --- 悲しみから生まれる絆 2011年5月3日~5月8日」(pp.74--81)の最初の部分です.

 「雨ニモマケズ」は,青空文庫などにあります.青空文庫所収のテキストから,一部を引用します(強調は引用者).

東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ

 余計な話ですが,私はなんとなく宮沢賢治は苦手というか,食わず嫌いを決め込んでいました.でも,鍋島先生のお話を聞いたり,常不軽菩薩の歌を聴いたりしているうちに,ちゃんと読んでみようかなという気になってきました.常不軽菩薩の歌は,“初音ミク”が歌っているものを以前にもご紹介しましたが,詩の方を掲げて起きます.

「不軽菩薩」

あらめの衣身にまとひ
城より城をへめぐりつ
上慢四衆の人ごとに
菩薩は礼をなしたまふ

 (われは不軽ぞかれは慢
  こは無明なりしかもあれ
  いましも展く法性と
  菩薩は礼をなし給ふ)

われ汝等を尊敬す
敢て軽賎なさざるは
汝等作仏せん故と
菩薩は礼をなし給ふ

 (ここにわれなくかれもなし
  ただ一乗の法界ぞ
  法界をこそ拝すれと
  菩薩は礼をなし給ふ)

『新修 宮沢賢治全集』第6巻, 筑摩, 1986(初版 第5刷),pp.294--295.

コメント

こんにちは
前にも書いたと思いますが(?)花巻の賢治の博物館?の展示の中に
真宗門徒だったが改宗したとの記述を見つけ、興ざめしたことを覚えています。
「行ッテ」というのは確かに大事なことですね。おなじ「あなたを思っていますよ」と言うことばでも 直接顔をみて言ってくれるのと、電話や手紙で伝えられるのでがずいぶん違います。
御旧跡なども訪れると、確かに時代はかわっているけど、地形とか匂いとか町のひとの話声などを直に感ずると、いろいろ思わせられることがあります。
私は書かれたものを読んだりすることは苦手ですが、身を運ぶのは旅行好きも手伝って得意であります。頭より毛穴の感性が勝っているわけです。
先回の棟方志功さんには50年前の御遠忌の折に、大谷派は絵を沢山描いていただきました。飛び地の枳殻邸には一室まんぐるり彼の襖絵の部屋がありますし、奉仕団の研修と宿泊する同朋会館にも大きな絵が掛かっていて実物を目の当たりにすることができます。
今回の御遠忌はスラムダンクを書かれている井上雄彦さんがスケ-ルの大きい親鸞聖人を描いてくれました。YU-TUBEでその製作場面がながされていますのでよろしかったらご覧ください。

こんばんは.
 花巻にいかれたことは以前にお聞きし,賢治のところまで言っておられるのかと,驚いた覚えがあります.私は,ちょっとかっこ付けて言うとリブレスクなところがあり,直に感じるのが苦手です.でも,直に感じるのは大切ですね.芥川龍之介でしたか,昔はブッキッシュであることを得意に思っていたが,今はうとましいというようなことを言った人がいましたが,そんな感じ.
 直に感じることに匂いと音(声)を挙げられていることに共感しました.これについては,また,書いてみます.
 宮沢賢治のおうちがもともと真宗だったということは,私は最近知りました.なぜ法華経の方にいかれたのか,ゆっくり考えてみるべきことかもしれません.
 お東さんは,棟方志功とご縁が深いのですね.
 井上雄彦氏の屏風絵は,公開のときのニュースで見ました.でも,作成風景がupされているのは知りませんでした.今日は遅いので,また見ようと思います.教えてくださり,ありがとうございました.

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