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「道のほうがあなたを見つけます.道を見つけるのはあなたではありません」
旧ブログ 2010年6月17日 (木)

「[祈りに応えて天使として現れたものを信用できないなら] 神がどこにいるのか,わからなくなるじゃないか」
「神を探し求める者は,みなそうなるのです」
「道を見失ったものは,どうなんだ」
「道のほうがあなたを見つけます.道を見つけるのはあなたではありません!」
(マイリンク『西の窓の天使』)

 これは,西洋オカルティズムの話の中で出てくる会話ですので,真宗とは何の関係もありません.ただ,文脈から切り取ってしまえば,「わしが如来さ んを をがむじゃない わしが如来さんに をがまれる・・・」と似ています.
 先日,頂いたコメントを見て,次のblogはこの歌にしようと書いたその日,読みかけの小説の続きを読み始めたら,上の言葉に出会いました.その偶然の一致が面白かったので,書き付けてみました.もちろん,シンクロニシティがどうのこうのなどと言う気は毛頭ありません.

【補足】
マイリンク『西の窓の天使』:佐藤恵三,竹内節 訳,国書刊行会,上・下2巻,1985.引用は下巻 pp.193--194.

コメント

聖書を読んだ和上様が、「真宗の人はキリスト教の人と話が合うのではないか」と、大変慈悲深いことを言われていたのを聞いたことがあります。
ただ他宗教を非難する人に比べて、とても度量の大きい方だと思いました。

 YGM様,こんばんは.無愛想な記事にコメントをつけてくださり,有り難うございます.
 和上様の話を聞いて,学生時代,心理学の講義で聞いた話を思い出しました.
 新車を買った後,自分の買った自動車に満足している人は,他の車のパンフレットを見るけど,買った車に不満がある人は,自分の買った車のパンフレットばかり見る・・・.
 なんとなく,分かる話ですね.自分の車に満足している人は,余裕で他の車の宣伝を見て,やっぱりオレの車は良い車だと思うことができるけど,内心しまったと思っている人は,自分の車を良く書いてあるものだけ見て,必死で自分を納得させようとする,ということでしょう.
 和上様の度量の大きさも,似たような理由かなと思いました.
(追記:このコメントは,投稿後,一部修正しました 6.18 02:09)

私の尊敬する先生(年下ですが)が以前
「真宗 と キリスト教は言葉を尽くして教えをつたえる点でよく似ている、
でも残念ながら,○○宗は名前は似ているが、その点ではかなり違う」
といわれていました。
また、友人のクリスチャンは「嘆異抄を読むと キリスト教徒よく似た事が
書かれている」と云っていました。
またまた 知り合いの住職は「(キリスト教・ものみの塔の方の話をしているとき)仏教は深い!!」と云ってました。

 破旬さま こんばんは.
 私も,キリスト教系の方の文章を読んで感動し,真宗の味わいに通じるなぁと思うことが時々あります.ただ,それをご紹介するのはちょっと自己規制が働いてしまいます.‘お聖教を差し置いて,なぜ,わざわざ他の宗教から引用するんだ’という批判を聞いたことがありますし・・・.
 でも,お二人の方からコメントをいただいて,ちょっと自己規制が緩みました.で,次回は,ある修道尼の方の言葉をご紹介します(最近,blogのお題選びは,コメントに全面依存ですね).

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